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食が分かれば世界経済が分かる/榊原栄資/文春文庫

エリゼ宮で外国首脳が歓待されるときのワインで格付けが分かるのは有名な話で、羽田首相の時は、プロヴァンスのワインだったらしい。
小渕さんの時は、榊原氏が知人にさりげなくつぶやいたら、メドック地区のサンジュリアン村の2級格付けのレオヴィル・ラスカーズの1970年物を出してきたという。

榊原氏がフランス人の友人がきたとき、ペトリュウスのオールドヴィンテージなどを飲ませると格別の効果があったとか。

機密費かどうかは分からないが、外務省にはたっぷりヴィンテージワインが眠っているんだろう。

有名シャトーのワインをストックするのは大変だろうが、確かにソムリエの資格のある外務省職員がいて、長期的展望を視野に先物買いも必要なのかもしれない。

やっと、赤ワインを楽しめる季節になった。
世情はなかなか安定せず、呑気にアルコールガ楽しめるものでもないんだけれど、家飲みでアレコレ嗜むのはまんざら悪くない。

2009/09/21

変人/埴谷雄高の肖像  文春文庫

大学の時、一時期ブームが来た。
とても懐かしい名前である。あの「死霊」の作者である。
最初の評論集を出版したとき1300部刷って、返品が1000冊であったという。300人しか読者が居なかったと・・・・

この辺は、小川国夫・藤枝静男など懐かしい名前が浮かんでくる。小川氏は埴谷氏をインモラリストという。ルールを破る背徳者という意味でなく、モラルのある必要性を認めないと言う意味でのインモラリストだと。

埴谷氏は、戦後文学ができなかったことを高橋和己や井上光晴と言った後輩に託したかったが、両方とも駄目になった。高橋氏は未完の文学で自殺に近い感じで早死にをし、井上氏は非常に良い作品があるものの、戦後文学ができなかった事をやるほどの才能がなかった。

樋口一葉がもっと生きたら、岡本かの子が50歳まで生きたら、或いは太宰が、三島、川端、芥川がとよくいわれますが、そんなもの、生きてたら、くだらないもの書いているに違いない。早死にする人は、それだけの才能なんです。
芸塾家は出し切って死ぬ物なんです、と瀬戸内さん。
確かに三島の遺作は、ラストが不自然であったし、インクが乾いていない様な原稿を渡して、自衛隊に自殺に行ったと言う話もあったくらいだ。

「死霊」はよく考えて書かれた作品だ。成熟さと言う観点からは、日本文学に於いて島崎藤村の「夜明け前」や漱石の「明暗」に匹敵すると思う。藤村は特別にエゴイステックな人間なので小説をきちんと書ききることができた、と中村真一郎氏。

また、坂本龍一氏は父が編集者であった関係から・・・・
質問されて、 僕にとって子供は他者で、他者と日常的につきあう訓練です。自分を信用してくれる者が自分の中に入り込むのは、共生しようとする自分の訓練にもなる。・・・・・・
僕は意識ってあまり信じない。自分の身体さえも意識がコントロールするのは10%位だと思う。音楽でも意識が支配する部分はすごく少ない。
何かを評価する基準は、と訊かれ、
基準は色々あるけれど、その内の一つは、イデオロギーではなく、精神の自由度であると、答えている。

最期は、吉本隆明氏へのインタビューである。これが一番面白かった。

たぶん皆さん、埴谷氏には興味ないだろうから、・・・・・
この辺で・・・・

本日は吉田美奈子のフラッパーを聴きながら・・

2009/04/05

ウイスキーちょっといい話/土屋守/ソニーマガジンズ新書

久しぶりの更新です。
おめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

通に捧げる100のトリビアとなっていて、ウイスキーの蘊蓄が語られている。土屋氏とは2004年にイギリスの蒸留所巡りをしたことがある。

冒頭の写真は、175pの土屋氏と宿泊したスペイサイドのクレイゲラキ村にある「ハイランダーイン」ホテルの日本人バーテンダーの仕切るバーのカウンター風景である。

狭いけれど、素晴らしいモルトが鎮座している。もし、行く機会があれば、是非宿泊してみて下さい。

歩いて直ぐの所に、村の食堂もあり、フィッシュ&チップスも堪能できる。

一通り読むと、ウイスキーの知識も増えるし、楽しみ方もまた変わるだろう。

変な幻と呼ばれる、バカ高い焼酎を飲まないで、美味しいウイスキーを味わってもらいたい。

もっとも、安くて美味しい焼酎もたくさんあります。

疲れも出て、体調が崩れやすい正月明けです。
おいしい液体美女を愉しんで、この1年を過ごそうではありませんか。

本日はオムニバスのショウボートのアルバムを聴きながら・・

2009/01/04

レッドクリフは・・・&ガラスの仮面は・・・・・

あの「ガラスの仮面」が10年ぶりに連載が再開されたという。
昔何故か、文庫本化されたとき、夫婦ではまってしまった記憶がある。少女漫画は余り好きではないんだけれど、大河演劇マンガといわれているガラスにははまってしまった。

しばらくすると、TVで放映されたり、舞台化で話題になった。細部の記憶は風化してしまっているので、また最初から読むとなると難儀である。おまけに結論も出ていなければ・・・・

レッドクリフというタイトルでは、なにが原作か分からなかった。あの三国志の「赤壁の戦い」であるといわれ、納得した。
確か中学時代から高校にかけて3回くらい読み返した記憶がある。中国文学の底の深さが初めて分かったのもこの作品である。あの頃は、高橋和巳などもちょっとしたマイブームであった。

大学の時だから、もう30年以上前なんだけれど、トールキンの「指輪物語」などのファンタジーものにはまった。あの当時は、1日1冊などという無謀な計画を立てて、平行して10冊くらい読んでいて、予定に達しないと、詩集なども手当たり次第読んでいた。

その後は、「富士に立つ影」やあの「大菩薩峠」などにははまりました。「大菩薩峠」は未完の世界最長長編小説などと言われていた。原稿枚数15000枚という枚数ビックリした記憶がある。

最近は軽い本が主流である。

本日はレッドツェペリンの2枚組のリマスターアルバムを聴きながら・・

2008/11/23

寄天列食道楽/河出書房新社

久しぶりの読書更新です。
アップするのはどうも品格を疑われる本ばかりを連続読んでいたもので・・・・・・・

”江戸前”という言葉は、元々はウナギに関してのみ使われていたそうである。この習慣は江戸末期までつづいていた。
その時代の意味は、味がよいというよりは、鮮度が良いという意味での使用とのこと。
江戸前に対して、埼玉あたりから持ってくるものを「旅の物」と称していた。明治の一時期は余り使われず、大正の中頃の鮨屋が東京近海の魚を用いているという意味でこの言葉を使い始め、いわば復活したという。

親子丼が故山本嘉次郎死の父上の喜太郎しの発明であるというのも信ずべき説の1つであるという。
明治25年料理研究会で、忙しいとき、立ったままで食べられ、滋養に富んだものを思いめぐらし、ついに親子丼となって日の目を見たという。
当時、盛り切り飯は下品とされ、飯の上に具をのせるは猫飯と卑しめられていたと言う。

この中に、前から気になっていたんだけれど、伊丹十三氏が川喜多和子さんと結婚していたという件がある。
湯豆腐をどの様にして食べるのかと一節は、喉がゴクリである。

「てんぷら」は天麩羅とも書くが、語源には諸説あるという。
ポルトガル語の「調理」のtemperoから転じたと言う説、獣鶏肉を用いない精進料理であるから、寺院すなわちtemplo(
ポルトガル語・スペイン語)の料理から転じた物など・・
いずれにしろ、江戸後期までは余り広く知られていなかったという。
やがて、ごま油でなく椿油で揚げた物が出現し、金ぷらとよばれた。更に衣に黄味を多く用いた物が金ぷら、卵白を用いた銀ぷらも出現したという。
この中に、酒粕の天麩羅が美味しいと書いてある。もう少し我慢すると、板粕出てくるので、是非チャレンジしてみたい。
我が家では長芋の天麩羅も出現する頻度が高い。
これ、オススメです!
忘れた頃、銀座の「近藤」で頂く天麩羅・天茶も忘れがたい!

あちこちのお勧めの居酒屋や飲み屋さんが出てくるので、すこしだけ行ってみたい。

本日はジャクソン・ブラウンのFOR EVERYMANを聴きながら
イーグルスのヒット曲「TAKE IT EASY」の曲から始まるこれもまた銘盤です。

2008/09/14

リサイクルは資源のムダ使い/講談社

このようなタイトルの本に惹かれるのは、天の邪鬼な性格のせいなのか、それとも・・・・・

太陽光発電は近い将来、巨大な廃棄物になる。
発電コストから比較すると、太陽光発電は火力発電の10倍、風力は3倍、原子力は2倍程度のコスト高になるという。
問題は、太陽電池の表面の汚れであるという。
かつて、通産省は実験太陽光発電所を建設したが、稼働率が低すぎて2年ほどで閉鎖してしまったという。

ペットボトルのリサイクルは、資源のムダ使い。
ペットボトルに出来るほどキレイな原料に戻すには、その過程で更によけいな資源を消費しなければならないので、石油の変わりに燃やして、発電した方が効率的であると。
厳格な原価計算と気分的なエコ的生活のせめぎ合いは、まだまだ続く・・・・・

リサイクルよりもリユース(再利用)のほうが省エネ・省資源。
瓶でリユースした方が環境に優しいにきまっているが、どうも行動が伴っていない。ビンビールの方が美味しいし、健康にも優しい。とあるところで、缶についての衝撃的事実を知らされたが、記述はできませんなァ・・・・・・・(個人的には出来るだけ瓶ビールを飲んでいます。おっしゃった方は、俺はビール好きだけど、カンビールは飲まないね、と。)

鶏卵については、
今日産んだ卵でも、白身が緩いことが、50個に2~3個はあります。本当の鮮度は、黄味の盛り上がりです。卵黄の低い物が古い卵です。
親鶏がヒヨコを孵していましたが、12個くらいたまってようやく抱いていました。一斉に孵らないとヒナの面倒見られないからね。
12個生むのにだいたい20日くらいかかるから、鮮度はそのくらいは変わらないねと。
サルモネラ菌は紫外線に弱い。日光のはいる鶏舎だったら、サルモネラ菌は死にますよ。

スウェーデンでは、アイドリング禁止で1分以上、町によっては2分以上はアイドリング禁止。注意されても止めない場合は、最高禁固6ヶ月になると言う。
アイドリングについても、「車は走るためのもので、温まるものではない」

いまスウェーデンでは、最終的には100種類近くゴミを分別するという。リサイクルスティションがあって24時間持ち込み可能であるという。

気分的エコ生活と建前大好き国民の日本では、食物のフードマイレッジを考えることなく、冷蔵庫の中で食品を腐らせ、もったいないと言う日本語を世界共通語にしたことを誇らしく思う。
でも、ワインはあちこちの国のものを味わいたい。身勝手ですな。

本日は懐かしいドン・ブライアント/カミング・オン・ストロングを聴きながら・・・(サザン・ソウルの名盤です!!)

2008/08/19

テレビじゃ言えない健康話のウソ/中原英臣/文藝春秋

相変わらずの健康オタクである。
厚生労働省の研究班が健康診断で効果が認められたのは、
血圧、身長、体重、飲酒、喫煙、うつ病、糖負荷試験のみだったという。

日本人間ドック学会が2006年に実施した調査によると、検診を受けた受診者の中で、全ての検査に異常がないと判断された「健康な人」は、わずか11%しかいなかったという。
受診者の10%しか正常とされない検査は、異常としか思えないと!

著者の知人の医師は、人間ドックのことを「釣り堀」と呼んでいるが、著者自身は、「投網」か「地引き網」と呼んだほうが正解ではないか。

確かに、太っている医者に、もう少しやせた方が貴方自身のためですよ、と言われれも余り気分は良くないモンです。

日本には400万台を超える体脂肪計が普及しているものの、メーカーによって体脂肪率の適正値に違いがあるという。

医者が簡単に患者を増やす方法として、
検査の正常値を操作すること、としている。
血圧の正常値の変遷を書いているが、「150/100」から「160/95」となり、「140/90」と変わってきているという。
警戒高血圧・軽症高血圧などとは、よく考え出したものである。
退却を「転進」と言い換えた軍隊が昔、存在したなごりなのかと考察してしまいます。

P80には、肝機能と飲酒は関係ない、と言う件がある。
肝硬変と肝臓ガンの患者を調べたら、その95%以上が「B・C型カンエンウイルス」が原因であったという。

日本人の休肝日は週2日でなく一晩でOK、となっている。
夜にお酒を飲んで、翌日の晩を休肝日にすると、翌々日の晩までアルコールを口にしないことになる。
確かに、これは正しい。

1日一皿の野菜でガンの予防が可能・・・

安心できるサプリメントはトクホだけ・・・
これは読んでみて下さい。

水分補給はしなければならないし、でも、ビールは美味しく飲みたい。このジレンマのどう打ち勝つかが夏の課題です。

奥の方から、「伝説のブギ・ウギ・ピアノ」などというCDを引っ張り出して聴いております。

2008/08/15(終戦・敗戦記念日なのかまだ認識していない私であります)

内儀さんだけはしくじるな/文藝春秋

相変わらず、疲れると落語関連本が登場。

「落語は笑わせるばかりじゃなくて良い」と通になるというものの、泣く感情は大雑把にくくられて、3つか4つくらいしかない。
だけど笑う感性は100くらいある。だから、笑いは個人的なもので、大勢のひとを笑わせるのは難しい。

「落語は大衆のもんじゃねえ、マニアックで通人のものだ。それが可笑しい、面白いという人間以外に聴かせて、笑わせようとすると落語が崩れる」
なかなか名言ですなァ。

お金を借りるのも半年で返せる場合でも1年借りて、10ヶ月で持っていけば次も借りることが出来る。
お客さんにご馳走してもらうときは、時計や指輪をはずしていけ、お客さんより良い物を身につけて居たら失礼だし、「向こうがもってないのかい」ってそれをくれたらもらえばいいんだと。
師匠から芸を教えてもらい、お内儀酸からは処世術を学んだと。

圓生と志ん生が2人で出かけたとき、志ん生が疲れたといって人力に乗った。その時
、志ん生が良かったら荷物をといって持ってくれた。で、目的地に着いたら、志ん生が車賃を半分出せといったという。
「車に乗ったのはあんたで、何故私が半分出さなくちゃいけないんだ」といったら、
志ん生はおまえの荷物を運んでやったろう、といったと。

満州に2人で居たとき、志ん生はどこかの古本屋から落語の速記本を買ってきて、
「日本帰ったら、これを演るんだ」といって読んでいたという。
圓生は`芸バカ`なところがあってその人間の芸がよくなると、すべてがよくなっちゃうと。

「文楽さんの場合、切っ先が読める。上から下ろしてくるか、下からくるのか。志ん生師匠の場合は突いてくるのか、下から斬りあげて来るか分からないだけに、やるなら、志ん生さんとやりたい」  

文楽師匠は、
「笑わせるってのは大変なことなんだよ。泣かせるなんて簡単だ。筋通りしゃべってりゃ客は泣くんだよ。客が泣かなかったら手前が泣け、そうしたら客も泣く。
ところが客が笑わないからといって、手前が笑っても客は笑わない」

文楽師匠は、志ん朝師匠のことを「100年に1人の男だよ」といっていたという。

誠に残念ではあるが、録音と映像は残っているのでこれを鑑賞するしかない。

今回は友部正人の1976を聴きながら
スカイドックブルーズバンドはいい音してました。

2008/08/10

単位の進化/講談社学術文庫

何を思ったのか、訳の分からない本を読んでいる。

南太平洋のヤップ島の体積単位は、「ココやしの実-ただし良く実っていて、中くらいの大きさの物--空の容積」が体積の単位であり、その名は「ダグ」ほぼ1リットルに当たるという。

インドの体積単位は「牛の足跡」であるとか。インドでは「牛の叫び」という長さの単位もある。
「牛の叫びが聞こえる距離」であるという。

英和辞典によると、ヤードは`棒``さお`の意味を持っていると。
伝聞によれば、ヤードの起こりは、「ヘンリー1世の鼻の頭から親指の先までの長さ」あるいは、アングロサクソン人の腰回りであると。
ちなみに、1ヤードは約90センチメートルです。

「モルゲン」とは英語のモーニングに相当するドイツ語で、その意味は「朝」である。ドイツ人は誰でも「グーテン・モルゲン」と挨拶を交わす。
ところが昔の農民たちは、違った意味で使っていた。農民達にとって、モルゲンは朝を意味したが、同時に「牛一頭で朝(午前中に)耕すことの出来る畑の広さ」を表す言葉であったという。
野良に出た農夫達が交わすグーテン・モルゲンという言葉には「昼までにどっさり耕作が出来ますように」というほどの意味が込められていた訳である。
働き者のドイツ農民気質が現れている。
またこれを調べると、昔のモルゲンの耕作面積は0.25ヘクタールだったという。

私は行ったことがないが、ドイツの酒場でワイングラスをシャンデリアにかざすと、黄金色に輝くグラスには、`法律に定められた`液面表示線がありありと認められるはずであるという。
その高さまで注いで卓に供するのが酒蔵の親父の「法的」責任であるという。
ゲルマン民族恐るべし!

後は興味のある人しか読まないだろう・・・

本日は、ちあきなおみコレクションを聴きながら・・・フィールドワークの広さに脱帽です。

2008/08/06

中国人の胃袋/ナジリコ株式会社

広東では、「秋風吹けば蛇肥える」という宣伝文句があちこちのレストランで掲げられ、各種の蛇パーティーが盛んになると言う。いかにも芋煮会に出るようなウキウキした気分になるという。
犬の肉も当然冬に備えるのにはかかせないという。

それぞれの国には各々好まれる食べ物があるが、中国ではゴボウは棒きれとしか思われていないと言う。
個人的にゴボウ大好きだから良いんだけれど、食習慣として、なぜ日本へ伝わったときに取捨選択がなされたのか?興味深い本です。

食べることに(食事)に金と情熱を燃やす中国では、「パンツを質に入れても食べたい」ということわざがあるという。

中国の学校は2学期制で春休みはないが、庶民の重要な節句の清明節は4月にあり、日本のお盆に当たるという。

中国人の西瓜の食べ方は派手で、食べる量は遙かに多く、食べ放題だと、男はだいたい1個の半分は簡単に平らげるという。
実だけでなく種も皮も食べる。種は食べた後、天日で乾燥させ旧正月に煎って間食として食べる。種も売られており、大粒の種を取るため特殊な西瓜も栽培されているという。

西瓜の皮も貴重な食材で、調理前に青い部分を削りおとし、細切りにし、塩を掛けそのまま漬けておく。1時間後くらいに水切りをしサラダ油で炒め、醤油を加え煮る。最後に細ネギを切って入れると出来上がり。夏の夕食の夕食のおかずにぴったりとか。

中国では日本と違い、渡り箸のタブーは無いという。

中国の江南地域では豆腐は葬式の食べ物で、普段はよく食べるが、結婚披露宴や誕生日はもちろん、家族が旅に出るときもけっして食べないと言う。

続きはまた明日・・・
本日はサンディーのHAWAI'I 2ndを聴きながら

2008/08/03

韓国では刑務所から出所するとき、刑務所内でよく食べさせられた豆腐を食べさせると2度と入らなくて済む、という理由だとか。

また、中国では誕生日にラーメンを食べて祝うという。麺が長いので儀礼食として定着したらしい。
日本では毎日が誕生日の人も居るんではないか?

紹興酒については、
昔金持ちの家では、皆が自家製の紹興酒を造り、互いに出来映えを競っていたという。
一昔前、甘いものが高級食品とされ、砂糖は貴重な物であった。どんな不味い物でも砂糖を入れればあじが良くなるとされていた。
そこで自家製紹興酒を親友に贈るとき、必ず砂糖を添えた。
「もし、不味いようだったら、砂糖入れておのみ下さい」という意味である。
大変へりくだっているが、内心は自信満々である。紹興酒が日本に入ったとき、この習慣も持ち込まれたが、日本ではその砂糖を本当に酒に入れてしまった、というのが真相であるという。
幸か不幸か、本場中国で砂糖が添えられる由来を知る人とが少なくなった。そのエチケットが日本で生き残っているのが面白い。

2005年10月に中国で4千年前のラーメンが発見されたニュースが報道されたという。その麺は直径3ミリ長さは50センチを超えている。材料はキビとアワだった。

不思議の国、中国である。

食いしん坊であるが、美味しい日本酒との相性がまだ分からない。夏が過ぎるとまた日本酒の季節になる。
もっとも夏でもお燗をして、いろいろと味わう小生でもあるが・・・・

本日はコンサート会場で購入した、ライ・クーダーとデヴィットリンドレーのプライヴェート・ライブ聴きながら・・・・・

2008/08/04

ワインの科学/河出書房新社

腰巻きは、ワインの「裏の裏」「通説と真実」を初めて徹底的に解き明かす!となっている。
内容が重いので時間がかかってしまった。

ワイン造りにとってのブドウの成熟は2種類ある。糖分の蓄積とフェノール類の成熟(生理学的成熟)とあり、後者は風味の成熟と呼ばれる。

2章はテロワールの正体に迫る。
テロワールとは、ワインに「地味」があること、ワインが「その場所らしさ」を備えていること、と表現されている。
テロワールと「個性」の違いとは?
普通テロワールは人間の介入を考慮しない。だが個性を維持するにはワイン造りの技術も一役買っている。

あるワイナリーの社長は、「面白そうな石を拾い良く洗って、粉々に砕き、一定量ワイン樽の中に浸したという。そうすると石の種類によって、ワインの風味に違いが感じられたという。
彼によると、ワインに含まれるミネラル分がワインの品質を大きく左右している。「わいんの熟成能力を本当に左右するのはミネラル分であって、タンニンや、酸味や、亜硫酸が果たす役割は大して重要ではない」

別の栽培家は「ブドウに吸収されたミネラルがワインのミネラル感になって現れるとは思わない。ミネラル感というのは、フルーティーさが乏しい結果であることが多いように思われる」???
フランスの学院の教授も「地中の無機物の組成と、ワインの風味や香りとに関連性があることを客観的に証明した人はいないという」

ビオデナミとは何かとあり、それは一つの農法と見なすよりも、一つの哲学(或いは世界観)を農業に応用した結果、主流の農法とは様々な点が異なるようになったもの、ととらえている。
ジョリーは、有機農法との違いを「ビオデナミではブドウと、ブドウが必要とする波動を結びつけます。ラジオの周波数を合わせるようなものです。その植物を生かしてくれる波動に植物をあわせるのです。・・・・」

ある葡萄畑で8管理区画に分け有機とビオでブドウを育てたという。結果は、どこをとっても、有機と比べビオが大幅に優れていることは無かったという。

葡萄栽培における定説
1 収穫量の少ない方がブドウの品質は高くなる。
2 樹齢の高いブドウほど良いワインになる。

樹冠管理のような介入では、樹齢が中くらいで樹勢が強く、土の生産力が高い畑のブドウに限るらしい。

12章はミクロビュラージュについて
ステンレスタンクを使いながら樽熟成のようにすこしずつゆっくりと酸化を進行させることが出来る。
(この装置は数年前、オーストラリアのあるワイナリーで使用しているのを見たことがある。)

ミクロビュラージュは最適な味わいの構成を作り上げ、青臭さを減らし、色を安定させ、還元的な性質を押さえ、ワインを柔らかくまろやかにする。
あるワイナリーのオーナーは大衆向けのワインにこの技術を使うという。
コストが削減できる。中程度のワインなら、高価な樽を使わなくても、樽板やチップをミクロビュラージュと組み合わせると同じ効果を生むという。

14章はアルコールの除去とマストの濃縮である。
逆浸透法でアルコール度数を10.1度から12.8度まで0.1度刻みで造り、バランスの取れた度数を4つ見つけ出したという。・・・興味があれば本文でどうぞ

15章は亜硫酸の働きと添加の是非、とある。
亜硫酸無添加ワインは、貯蔵の問題が最大のネックになっている。出荷から販売まで、ワインを常に14度以下に保たねばならない。

もう一つの指摘は、醸造過程で添加しなくても、ワイン中には多少の亜硫酸がかならず存在する。発酵の複製物だ。1L当たり5~15ミリグラムという少量を、酵母がごく自然なプロセスとして作り出す。
したがって、本当に亜硫酸ゼロのワインなどあり得ないことになるという。

17章微生物とワインの関係 疲れて本日はここまでです。
久しぶりに、ジミ・ヘンのモンタレーライブを聴きながら・・・・
ROCK ME BABY大好きです。

2008/07/27

理念の対立--天然酵母VS培養酵母
ニコラ・ジョリーは「天然酵母には、その年の微妙な特徴が全て現れて居るんです。その酵母を殺すようなおろかな真似をしたら、その年の持つ何かを失ったのと同じです。」

別の醸造家は、「私は必ず培養酵母を使います。個性は多少は失われるかもしれませんが、培養酵母のほうが、その品種の持つ潜在能力を引き出せるように思う。適切なタイミングで発酵が始まり、何の問題なく終わります。天然酵母で発酵が上手くいけば個性をより強く表現できる。悪玉の酵母菌がいたら大変な事になります。」

ある教授は、「天然酵母のほうが複雑なワインの出来る場合があるのは事実ですが、リスクがメリットを上回るケースがほとんどです。」

コルクのカビ臭問題については、
カビ臭さのTCAを検出し再度コルクで栓をして放置しておいたら、2週間後に再測定したら、ごく微量のTCAしか検出されず、残りは全てコルクに再吸収されてしまったという。
その後、色々な展開があります。興味のある方は、本書で・・・・

20章はワインテイスティングと感覚の個人差となっている。
評論家のワインに対する評価について・・
彼等が、同じワインを別の日の違う時間に異なる状況でティスティングした時、彼等の感じ方にどれだけの一貫性があるのか。
一流の評論家なら一貫しているはずだが、実際にそれを調べた人はいるのだろうか。

味覚の権威がある溶液に浸した吸い取り紙を講演中に配り、舌に付けるように指示したら、驚くべき結果が出た。
聴衆の4分の1は何も味を感じない。ところが他の人はほとんどがその紙をかなり苦いと感じ、少数ながら相当数の人がきわめて不快な強い苦味を感じた。
これについても興味のある方は本文を・・

香りの感じ方では、
例えば20人くらいの人数で検査をすると、一つの匂い物質に対する感受性を調べただけで、一番敏感な人と一番鈍感な人の間には1万倍の開きが見られる場合があるという。
もっと控えめな研究者でも、約100倍の開きはあるという。
(さて私どっちなんだろうという、不安に駆られましたね?)

ワイン・テイスターの技能とあり、
味覚過敏の人が一番優秀なワイン・テイスターになれるかというと、そうでなくて、学習の影響が非常に大きいという。
味覚過敏の人は、渋みも酸味も苦味も、アルコールから来る熱感も人より強く感じるので、ワインを楽しめないのではないかという。

次は、ワインの情報処理--熟練したワインテイスターの脳と素人の脳、となる。
これは本文に譲ります。

ワインテイスティングにとって、銘柄を知りながら試飲をすると、そのワインについて前から知っている情報に好みが左右されやすい。どんなに客観的に評価しようとしても、それは不可能であるという。

意地悪な実験をしたという。
被験者に標準的な品質のワインを飲んでもらい、一週間後にもう一度同じワインを試飲させる。
ただし、1度目のワインは「ヴァン・ド・ターブル」と書かれた瓶から被験者に注ぎ、2度目の時は、「グラン・クリュ」と書かれた瓶から注ぐ。
テーブルワインと特級を比較すると、「やや」が「非常」に、「平板」が「複雑」に、「バランスが悪い」が「バランスがよい」へ変わっていたという。

高級ワインをブラインド・テイスティングすると、期待を裏切ることが多いのは、視覚を重視しすぎるからだ、という。

なかなか勉強になった本です。基本はテイスティングで修行を積み、飲んだワインをいかに的確に表現するか、ということになる。
でも有名なワインでも嫌いなものはどうしようもない。自分が飲んで美味しいと思ったお酒を紹介するしかないです。

端折りながら、どうにか本書の紹介を終了。先日BSで放映されたダイアナ・ロスの佳曲「アイ ラブ ユー」を聴きながら・・・・
この番組の最後に10個の質問をするんだけれど、昔バーバラ・ストレイザンドにあなたの好きな音は、と聞いたら仰天の答えをしたのを思い出した。
彼女をいっぺんで好きになりました!

2008/07/28

不可能性の時代/大澤真幸/岩波新書

また8月15日が近づくとお固い本が読みたくなる。 日本近代史の専門家によると、第二次世界大戦が終了してから60年も経つのに、なお「戦後」という時代区分が活きているのは、日本だけであると。

また、自分自身に照らしても、歴史の勉強は第1次対戦までが歴史であって、隣国の方々が繰り返し歴史の授業で教えられている満州事変以降の歴史は、自分自身が意識して学ばない限りは、全く歴史認識からは捨象されていると思う。

元陸相・首相の東条英機の自殺未遂事件が述べられている。
東条はMPが逮捕に来ると、ピストル自殺を試みるが、死ねなかった。おまけに、「東条これを持って」とピストルを握らされ写真を撮られる無様さであった。彼は、氏名不詳のGIからの輸血で一命を取り留める。
さらに、その後に東条は司令官に高価な刀剣を贈ったらしい。
「生きて虜囚の辱めを受けず」と訓諭していたこの軍人が自死しなかったこと、しかも、未遂に終わった自殺も刀ではなくピストルだった(おまけに刀は米人に贈った)ことが批判と嘲笑の的になった。フランス文学の渡辺一夫は、東条「混血児となる」と日記に記したという。
東条の身体の中を走る米人の血液が、敗戦という断絶が、いかに自然な連続性中で生じているのかを象徴しては居ないかと。

今日、日本人は8月15日を終戦記念日と記憶している。しかし、戦後当初は、戦争が終わったのが昭和20年8月15日であるという了解は、国民的合意事項ではなく、言うまでもなく玉音放送がラジオから流れた日だが、考えてみると、終戦に相応しい日は、他にいくつもある。例えば、日本が降伏文書に調印した9月2日や、ポツダム宣言を受諾した8月14日(玉音放送で天皇が読み上げている日も8月14日である)などがありえたはずである。
なぜ、それらに日でなく8月15日になったのか。第一にその日であれば「敗戦」ではなく「終戦」の日になるからである。日本が対外的に敗北を認めた日ではなく、天皇が国民に向けて戦争の終結をした日だからである。
第二に、お盆との関係を考慮すべきであろう。このことは、戦争の(自国の)死者たちが、こともなく、先祖たちの集合に統合されてしまったことを意味する。・・・・

少し離れ、村上春樹の「羊をめぐる冒険」は三島由紀夫の「夏子の冒険」の書き換えであり、「一九七三年のピンボール」は大江氏の「万延元年のフットボール」のパロディであると記述されている。p79

われわれは、監視されていることを恐れ、そのことに不安を覚えているのではなく、逆に、他者に--われわれを常時監視しうる「超越的」とも言うべき他者に--まなざされていることを密かに欲望しており、むしろ、そのような他者のまなざしがどこにもないことにこそ不安を覚えているのではないだろうか。
私生活をだだ映すだけのサイトや「ブログ」のような私的な日記を公開するサイトがはやる理由も、こうした欲望や不安を前提にしないと説明できまい。
あるいは、若者が、ケータイへの着信やメールを待ち焦がれるのは、自らが誰かのまなざしと配慮の下にあることを確認し、安心する為だろう。

他にもいろいろな時事に対する事が述べられているが、あまりに個人的な好みで判断が分かれると思う。不安の時代をどの様にブレイク・スルーすればよいのか。

とはいうものの、あまりの暑さに、大好きなキリンの「ハートランドビール」をまず一杯・・・・・

本日も懐かしいオーティス・レディングのLIVE IN 欧州を聴きながら・・・

2008/07/21

ショーケン/萩原健一/講談社

第一版が2008/03/14で私の購入時は2008/04/24で第6版となっていて、読了はほぼ1日で終了。なかなか面白いと言っては失礼なんだけど、楽しんで読めました。

確か、タイガースのLPは3枚ほど持っているけど、テンプターズはシングル盤は1枚だけだった記憶がある。
当時の習いとして、ビートルズかストーンズ派かみたいのがあったもので、心情的にはショーケンが好きだったけれど、テンプターズの楽曲はどうもイマイチで購入意欲を掻き立てなかったものです。  

1975年「前略おふくろ様」が倉本聰氏の脚本でヒットした辺りから、話は面白くなっていく。確か同名の曲もヒットしてこの頃から、ショーケンのLPを買い始めた記憶があり、5/6枚所有していて、またCDも買い増してというながれになったものです。


******************************************

昨日の続きです。

音楽はそのままでは嗜好「品」にはなりにくい。
1 音楽が他の身体運動から切り離され、音楽のみが取り出されて経験されること。
2 音楽が持ち運びできる「品」になること。
3 個人が自らの心身状態をコントロールするために、音楽を用いること。
という条件が必要である、と。

多くの民族音楽では、舞踏と共にあるのが常であった。

最初に持ち運びが可能になったのは、オルゴールであり、19世紀末に自動演奏ピアノが実用化され、レコードが複製メディアとして出現、音楽ソフトの乗り物が、私が大学生の頃から信じられないスピードで、カセットからCD、DAT、MD、半導体メモリーへ、再生メディアは、カーステレオ、、ヘッドフォンステレオ、携帯電話、MDプレイヤー、ipodではいつでも、好きな曲を数千曲聴くことが出来る。

こうなると、プレイヤー自体が嗜好品の性格を帯びてくる。
ここまで行き着くと、音楽は常用品となり、空気のようなものだといわれる。

部屋の中の鑑賞の対象から、音楽は自由に解き放たれ、常に鳴っているのが、自然に近い状態である。
因みに、私のipodにも落語・浪曲から6000曲が入っている。シャッフルすると落語も飛び込んでくるから、なかなか難しい。

それでは食文化を革新しようとするときのお手本となるのは、どの様なものか。
第一には、過去の高級文化を取り入れようとする姿勢である。フランス料理や中国料理が確立したのは、フランス革命や辛亥革命で宮廷文化が崩壊し、宮廷料理人が町に店を開き、庶民がその味を知ったからである。日本でも廃藩置県で大名料理が料亭で供されるようになる。加賀料理などがあるが、最初は当時の庶民が食べるものとは大きくかけ離れていたものだった。

第二には、今まで見下げられていた民衆の食文化の中に新しい食を見いだす場合である。握り鮨は、江戸時代屋台の食べ物であったが、今では高級料理にもなっている。

第三には、異文化の食を取り入れるものである。特に日本では世界の料理が体験でき、なお味にしてもそれなりの美味しさで提供されている。

第四には、既成概念にとらわれず、新しい食文化を生み出そうとする試みである。
文化が閉塞したとき、それを打ち破るのは、周辺部に位置する、古くさくて、庶民的で、面妖で、いかがわしいと見なされているサブ・カルチャーの中にある力である。

末尾に、多くの書籍が紹介されている中で、ワインの飲み方の手ほどきとあり、著者は、絞り立てのブドウ果汁、発酵途中の果汁、一年後のワインになったもの、三年後のワインを飲んだという。

自分にとっての基準になるよう、同じ銘柄を一年飲み続けなさいとアドバイスされたとある。 自分が気に入ったデイリーワインを一ヶ月に一本、ヴィンテージ違いもまた味わえたら良いのだろう。
食事と関係なく、ただワインの銘柄だけを取り上げて、飲んだことがあると、自慢げに言っても、飲んだことのないものにとっては白々しいだけである。

楽しい会話と料理と思い出こそが、ワインやお酒の味わいと倍加させてくれるはずだ。

本日はやっぱり懐かしい、ブレッド&バターの「野生の馬」を聴きながら・・・

2008/07/19

嗜好品文化を学ぶ人のために/世界思想社

内容が固くて少し時間がかかってしまった。

最初は嗜好品の特質からはじまる。
1通常の飲食物ではない=栄養・エネルギー源として期待はしない。
2通常の薬でもない。=病気への効果は期待しない。
3生命維持に積極的効果はない。
4しかし、無いと寂しい感じがする。
5摂取すると精神(=心)に良い効果がもたらされる。
6しばしば人との出会いや意思疎通を円滑にする効果を発揮する。
7食物素材が使われている場合が多い。

してみると、嗜好品は「遊びと楽しみの要素をはらむ飲食物」だとも言える。

嗜好品に相当する外国語は何か?
和英辞典にもTaste(味覚・好み)Favorite(お気に入り)などがあるが、上記のような深い意味はなさそうだ。
1999年のシンポジウムではpleasure puroductsという言葉が用いられたが、外国人の多くが実際の討論では、shikohinというローマ字を使ったという。
嗜好品という言葉は日本語由来の「世界語」になる可能性が大きいという。

現代日本の嗜好品事情として、20歳前後の女子大生の話を聞くと、「嗜好品」という言葉自体が死語であり、煙草・酒に類するものをあげてもらうと、
音楽・化粧品・ガム・アクセサリー・雑誌・テレビ・携帯・ネット・香水・アロマグッズ・・・・となったとか。
拡張された嗜好品の世界なのかもしれない。

嗜好品のイメージは何かというと
*気分転換に役立つ
*味覚嗅覚に関係する
*自分を癒す
*気分を落ち着ける
*ストレス発散に役立つ
*自分なりのこだわり
*身体によいもの
*******と続く

酒類の日常度は世界中おしなべて低い。その数値が50%を超えたのはロンドンのビールとフランスのワインのみであったという。

ドイツの社会学者が言うには、私たちが生きるこの社会は、恋愛と贅沢を基本的前提としており、それが資本主義の隆盛の基礎をなしているという。
何故、恋愛、それも非合法恋愛なのか。彼の知的確信によると、非合法恋愛に血道を上げている男性は、金に糸目をつけず、愛人に貢ぎ、それが資本主義の生成と隆盛を支えているという。

<ハハ、いかにも独逸人には失礼だが、彼等の頭脳構造の一端を垣間見る思いである。
そんなに単純な事で資本主義は成り立ってはいない。>

酒の魅力とは何か。好きな人は美味しいという。加えて、適度な酔い、すなわち酩酊に伴う気分の高揚、理性の減退をもたらす。
その快楽は極めて大きい。

日本独自の見事な飲酒文化して、近代以前の村落社会では、次のような規範があったという。
1)予め決めたハレの行事に
2)共同体のメンバーが集い
3)信仰を共有している「神」を祀り
4)酒と馳走を神に奉納し
5)そのおさがりを共に飲食し
6)神に奉納する歌や踊りを楽しみながら7)徹底して酔い、互いに「1つの心」に繋がる為に酒を飲んだ。

この形態が高度成長期の会社での忘年会や新年会に繋がり、気持ちを一つにし、「明日もがんばろう」・・・・・・

まだまだ続くが、少し息切れがして、次回に譲ります。

本日は、懐かしい蜂密パイの「ムーライトドライブ」を聴きながら・・・

2008/07/18

美味礼賛/海老沢泰久/文芸春秋

本箱から懐かしい本が出てきた。
奥付は1992年3月20日第一刷とある。この作品のモデルは、大阪あべの辻調理師専門学校校長の辻静雄氏である。ただし物語は架空であり・・・・・となっているが、作者は海老沢氏であるから、推して知るべし・・・・

彼以前は西洋料理だった。彼が本物のフランス料理をもたらした。
その男、辻静雄の半生をえがく伝記小説。
と腰巻きは記されている。

本文はなかなか含蓄に富んだ宝石箱だ。
「フランス人は他の民族よりも、ただおなかがすいたから食べるという人間と、あじをよく噛みしめて楽しんで食べる人間を厳重に区別することに、非常な熱意を燃やしている民族である」

古本屋には料理の本がゴロゴロしているのは、何故かというと、
「コックの旦那さんが亡くなると、奥さんにとってこういう物は紙くず同然になり、それで売り出す。これは、あるホテルのシェフが亡くなり、未亡人が売りに出した物だと。料理本をそろえるなら、新聞の死亡記事に注意することだと」

マダム・ポワンは、
「ワインを飲むために料理を食べるといってもいいくらい。フランス人は料理に100フラン使ったら、ワインにも最低100フランは使うと言ったら分かりやすいと」

「フォワグラには、CHディケムが一番良く合うのよ」・・・・・一度でいいから試してみたいなあ!と思った私です。

マダム・ポワンは朝一番に調理場に顔を出し、買ってきた材料を見て、シェフとその日のメニューを決め、決まると、メニュー表を書くため自室で1時間ほどかけ15枚書くのを日課にしていたと。
何故印刷しないのかと聞くと、
「答えは簡単。いったん印刷してしまったら、いい材料が手に入らなかったときでも、料理を出さざるを得ないと。でも手書きなら、常に最高の料理を提供できると。だから結婚して以来30年間毎日メニューを書き続けていると。」

当時、教室で、フォン・ド・ヴォーの作り方を教え、さて、スプーン1杯に換算するといくらになるかな、というと・・・・
なんと、約18CCだから、約50円になると。これ以下の会話も、興味のあるものです。

昭和47年の6月18日から22日までの5日間日本中の名だたるホテルのレストランから料理長がいなくなった。
彼等は講習会に参加していた。
講師は、ポール・ボキューズ、ジャン・トロワグア、マルク・アリックスである。
その講習会を開くきっかけは・・・・・これもまた、ゾクゾクする謎解きだ。

何とこの3人の助手を希望したのは・・・・もう読んでもらうしかないです。

最後に日本料理に取り組み、狂ったように吉兆!!!に通ったという。湯木貞一もまたその真剣勝負に立ち向かったと。

昨今、吉兆に通った人は、料理に興味がないのか、よっぽどまずかったのか・・・・

また、再度感動して、2日で読了。

バック音楽は、四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟がのったよ」でした。確か高校3年の時に1度だけライブでこの曲を聴いたことがあります。***ちょっと自慢。

2008/07/01

川柳浮き世大学/小沢昭一/新潮新書

こちらも梅雨入りでなかなか気分が晴れませんが、川柳でも少し楽しんでニッコリ。

体重計嘶いて(いなないて)いる天高し

角砂糖ころがしてみるばくち好き/小さん

懐かしいところでは、
源泉からパイプたどって宿をきめ

生ゴミで景気回復知るカラス

歯科眼科泌尿器科で幕がおり

改革は三歩戻って二歩下がる
(このように野党は攻める余裕がないとネ)

百歳は何をやっても健康法
5つほど理由が述べられているが、なかなか面白い。
昔、年寄りになってきたら皆で月掛けをして、最後の残った人が、総取りなら長生きに励む筈だ、と言った人がいたけれど..

本日は懐かしいマイルスのアガルタなどを聴きながら...

2006/06/29

割り箸が地域と地球を救う/創森社

国産材割り箸は、資源有効活用の象徴。
間伐材割り箸をとおして環境問題、日本の森林、山村の問題を考える、と訴えている。

現在、日本で使われている割り箸は260億膳で、そのうち98%は輸入されている。
一方国産の割り箸は、木材として使われないスギ、ヒノキの端材の部分を有効活用するために生まれたアイデア商品である、と。

地球上の食事方法は、手食(中近東、アフリカ、南アジア)、箸食(日本、中国、韓国などの東アジア、ベトナムなど)、ナイフ・スプーン・フォーク食(欧米、ロシアなど)の3つに大別され40%、30%、30%の割合になるという。
また、日本での箸の始まりは、7世紀後半飛鳥時代の「檜の箸」がもっと古く、日本で初めて、新しい箸食制度を朝廷の饗宴儀式で採用したのは、聖徳太子だそうです。

箸自体は東アジアで広く使われているが、割り箸は日本人の発明のようです。
江戸時代後期の時期使われていたのは、引き裂箸と呼ばれる竹製の物であったと。
現在使われているのと同じような割り箸は、1877年(明治10年)生まれ、奈良県吉野郡で下町の先生をしていた島本忠雄という人物が、樽材として使われていた吉野スギの端材を有効活用しようと考案した物であると。

輸入割り箸は、エネルギーもかかっているし、安全にも不安がある。
一方荒廃する日本の森林をこれ以上破壊せず、洪水や渇水の防止をしつつ、二酸化炭素の吸収率を高め、温暖化防止にいかにつなげるか。
割り箸を通じていかにエコなライフスタイルを実践するのか?
一概に国産の端材の割り箸まで悪者扱いは一方的すぎるような気がする。

本日は、サンディーの「COME AGAIN」を聴きながら....
蘇州夜曲と花はサンディーの声にマッチして最高の出来上がりです。

2008/06/07

阿久悠のいた時代/柏書房

この本はとばし読みが多くて時間がかかってしまった。
阿久氏は曲先が好きで、演歌調の物は詞先が定番だったらしい。「津軽海峡~」「白い蝶のサンバ」も曲先だったとか。

阿久氏は友人の劇画家上村一夫氏の死について、
彼の死が僕を変えた。君臨しようとすることがあったが、そういうことが空しくなった。ガツガツはみっともないけど、バリバリならいいと思っていたのに、バリバリする気が弾まなく思えてきた。

「時代おくれ」の一節、
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心をみつめつづける
時代遅れの男になりたい

が心情を少し反映しているのか?

エッセイを集めているので、中上健次氏の都はるみに言及したところが面白かった。

ただ都はるみの声を持たない限り、曲の意図する高度成長期特有のライト感覚、明るさ、華やかさを表現できない。
これは都はるみは「女の海峡」で示したように森昌子が得意とする演歌の世界を表現できるが、森昌子は都はるみの明るい軽い世界を表現できないと言うことである。
小林幸子ではくもりが出来、八代亜紀の声では重くなる。水前寺清子では明るい声で合っても透明度が問題になる。
もちろん、そういって他の歌手を女性歌手をおとしめているのではない。
水前寺清子の声が彼女の歌の魅力をつくり、重い声の質があるゆえに八代亜紀は情念を表に出すような歌が出来、トラッ野郎を引きつけている。

2008/06/05

板さん役の梅宮辰夫氏はこのドラマから本格的に料理を始めたとか。
撮影の後みんなで飲みに行きたいんだけど、時間が無くて、居酒屋の場面では、本物の酒を飲んでいたと。
共演の田中絹代さんに、
「お母さんは、溝口健二、小津安二郎、黒澤明と、巨匠や名匠の皆さんの作品に出ていらっしゃるけれど.....」
「はい」
「そのう、どうでした?」と訊ねると、
「みなさん、同じですね。あの方々は、人の魂を食べて生きている。人の魂を食べてね、そういう方たちですね」....

一度だけ、美空ひばり嬢からアプローチがあり共演したという。その後飲みに誘われたものの、目立つので、ひばり嬢の御殿へ。
「わたしは演歌の女王ではなく、歌謡界の女王なの」といわれ、
「歌ってあげる」といわれ、
「じゃあ、ぼく、悲しい酒がすきなんですけど」というと、アカペラで歌ってくれた。
ひばり嬢は本気で、一瞬で歌の世界に入り、歌の合間のセリフでは本当に涙まで流して、歌ったと。聴き終わった後、ショーケンは我を忘れて拍手をしたという。

「ブラックレイン」の優作役は、最初はショーケンで、刑事役は、勝新太郎、ヤクザの親分役は、藤山寛美だったが、色々制約があり・・・・・これは面白い。

疑問が氷解した、「ラストダンスは私に」の歌詞。ノリノリで、
ロックンロールは、大麻みたい
心酔わせるわ
とうたい、実際のLPはピーが入っていた。あの歌詞は**だったんだ!

某有名曲、捜し物は何ですか
見付けにくい物ですか
鞄の中も机の中も捜したけれど
見つからないのに
まだまだ、捜すつもりですか?
それより.....

さて、いったい何を捜していたのでしょうか?

ショーケンはもう一花咲かせる歌手でしょう。がんばって欲しい。

2008/06/01

銀座のプロは世界一/須藤靖貴/日経新聞出版社

久しぶりの更新です。野暮用ばかり多すぎて、軟弱です。

各界の名人が登場するが、参考になるのは、「ライオン7丁目店」ビール注ぎ名人である。現在退職されて、不定期ではあるが出勤されているらしい。

注ぐのは慣れれば誰にでも出来ますが、裏の仕事が80%で、それで味が決まる、という。
最高の生ビールが供されるための3大要素は、「注ぎ」・「発注」・「洗浄」であるという。

ビールは鮮度が命だから、工場直送を過不足無く注文し、きれいに洗浄したタンクへ納めて、最良の状態でビールを注ぐ。

タンク室はホール地下にあり、1000リットル入りタンクが6本。このうち4本にビールが入っている。(冬場は3本)
だから2本を洗浄でき、高さ3メートルの内部に入り込み洗浄するという。
1本洗浄するのに約40分。二日に一度は洗うという。

次はホースの洗浄で、地下からホールまで直径九ミリの専用ホースが30メートルほどのびている。この中にピストルの弾丸のような直径一三ミリのスポンジを高圧水流で通して洗う。
内部に汚れがあると泡が粗くなってしまうという。

最後はジョッキの洗浄だ。泡切れの良い洗剤を使い、しっかり洗い、そしてビールを注ぐ直前まで氷水をはっておく。布で拭いたり乾燥させたりすると、ジョッキ内部にどうしても埃が付着する。
埃と汚れはきめ細かい泡の敵だという。

ビールの鮮度を落とさないためにも1000リットルを三日で使い切るのが理想であると。発注すればビールは翌日に着く。ただし土日は配送が休みなので、経験法則から発注するという。

しかも、運ばれてきたビールは直ぐに出さず、炭酸ガスを落ち着かせるために丸一日タンクで休ませるという。
(ワインをしばらく落ち着かせてから飲むのに似ていますネ!)

さてここからが家庭でビールを飲むときの極意ですゾ!
留意点は二点で、製造日の新しい物を選び、冷蔵庫で1日休ませること。
そしてグラスの洗浄。良く洗い、ビールを注ぐ直前に冷水にくぐらせて内部をぬらす。注ぎ方にはこだわらなくても大丈夫とのこと。

私もトライしましたが、内部を冷水でぬらすだけで、別物の味わいです!!

ささやかな事ですが、美味しいビールは夏の最高の友であります。今夏は少しだけ贅沢な味わいのビールを堪能あれ!

2008/05/18

いーじゃんJ-POP/マーティー・フリードマン/日経BP 

腰巻きは、なぜ彼は世界的バンド「メガデス」を脱退しB'zと松浦亜弥の国にやってきたか?となっている。
でも、私はメガデスを知らない。
何故この本を買ったのか、それは興味半分です。

中島美嘉は”ヘタウマ”さが独特の寂しさを生んでいる。とあり、
彼女は、ものすごく歌が上手いタイプではなく、少しずつ音程がズレていたりして、”ヘタウマ”さがあると。
”ヘタウマ”と音痴とは違う。”ヘタウマ”は宝石みたいなもの、と書かれている。この視点はなかなか鋭い!

アンジェラ・アキは、すごく自然体で歌っているし、それでいて情熱はビシビシと伝わる。歌はうまいのに、うまさを見せびらかさないで、凄く聴きやすい。
技術的にもハイレベルで、普通は全体のサウンドアレンジで出す曲のメリハリを自分の声とピアノだけで完璧にコントロールしている。

松浦亜弥はいずれ」国民的歌手として”第二の美空ひばり”になると言っているが、理由は本を読んでみて下さい。
私は分からない。

ZARDは、ヘビーメタルと歌謡曲が奇跡的な化学変化で融合している!
ZARDのサウンドを一言で言うと、ヘビーメタルとアイドル歌謡の融合であると。
J-POPの元祖は、ZARDだと思う。
コード進行は、カノンというクラッシックで有名なコード進行です。「揺れる想い」のAメロみたいにベース音が1音ずつ下がっていくのが特徴ですが、実は、このJ-POPの素といってもいいと。

専門的すぎてよく分からないが、言っていることは、感覚的に分かる気がする。半分以上のアーティストが、最近の歌手ばかりでついていけなかった。

VAN/MORRISONのKEEP IT SIMPLEを聴きながら......

2008/05/05

開高健(一言半句の戦場)/集英社

文豪最後の新刊!と腰巻きにあり、エッセイ・コラム・聞き書き・インタビュー・対談・座談会・推薦文....
没後20年の新刊である。
久しぶりのハードカバーで約600ページのボリュームなんだけれど、比較的軽く流す部分もあり、思ったより早く読了。

奥さんの牧羊子氏も亡くなり、娘さんも事故でなくなり、残るは作品のみ...

開高氏は、酒と食・釣り・ヴェトナム戦記が有名であり、闇の3部作も素晴らしい。

本当にいい酒は、
眠くならない、くたびれない、宿酔いにならない、心気いよいよ冴えわたる。もういいこと尽くし。水のような酒を飲むとね。ただし、滅多に飲めない、とある。

ぶどう酒は栓を抜いてから、いきなり飲まないで、しばらく空気にさらしておくと、味が変わって良くなる。20分か30分で見事な熟女になるのがある。
液体美女との遭遇は、たびたびあるものではないらしい。語尾の言い切りでなく、「なるのがある」と書くところが流石ですナ。

栓を抜くまでの処女と、栓を抜いてからの熟女。一本の瓶に2人の女が入っている。
しかし、デカンタージュには、小生はもっぱら溲瓶(シビン)を使う。外見は異様だけれど、機能は立派。(目盛りも付いているしネ.....)
ある時、講演会で溲瓶からワインを飲んで見せたら、1人の紳士が感動し褒めたという。しばらくして、この紳士から特製のクリスタルのシビンを頂いたという。
彼は佐々木硝子の社長さんでワイン通でもあったと。それ以来、ボルドーもブルゴーニュもこのシビンでデカンタージュして来客に試供することとなったと。

また、貧乏人のシャンパンとあり、
安物の白ブドウ酒、ガロン瓶くらいの、大きな瓶で買って、これを冷たい流れにひたして冷やしておく。一緒にプレーンソーダを買ってこれも冷やしておく。
冷えた白ブドウ酒を冷えたソーダでジャボジャボ割って飲む。これいけます。
カリフォルニアの釣り師に教えられたレシピ?とか。
想像しても喉が鳴ってしまう!

文案家の私が感服したこと。として、
ヒットラーの「我が闘争」から引用し、
「大きな嘘の中に人をして真実と信じ込ませる何かがある」
某元総理のイメージが頭に浮かんだのは私だけかな?

「ウイスキーはこうして飲む-」という広告で、

まず鼻で
香りを

つぎに舌で
まろみを

それから
歯ぐきにしませて
コクを楽しみ

さいごにグッと
ノドで
きめを
あたってみる

本当に、簡潔にして、そのまま!
ウイスキーが飲みたくなる。

そういえば、昔の著作「最後の晩餐」で王様の食事とあって、ワインは、
ピュリニー・モンラッシュ   71年
コルトン・シャルルマーニュ  70年
グラン・エシェゾォ      70年
ロマネ・コンティ       70年
ランソン。赤ラベル      69年

第3ラウンドで
シャトゥ・ディケム      71年
ミュールソー         71年
シャッサーニュ・モンラッシュ 69年
シャトォ・フィジャック    67年
シャトォ・ラトゥール     66年
ラフィット・ロトシルド    45年
アベル・レピトル(シャンパン)69年
シャトォ・カイユー      29年

本の奥付は1979/9/1となっている。あの当時、このワイン凄さは全く分からない方向音痴だったし、ワイン自体が田舎ではドイツワインとしてしか、認知されていなかったような時代だった。もっとも、いまでも味わって飲んだことはないけれどネ。

「ロマネ・コンティの説明、開高さん」とあり、
「いつぞや俺は1935年と37年のこれを飲んだことがあって、短編を一つ書きました。.......」

博物館のような本です。オモチロイ!

2008/05/04

叱り叱られ/山口隆/幻冬舎

サンボマスターの山口隆が6人の巨星に問い、語り、思考した、革命的音楽論!と腰巻きに...

メンバーは山下達郎・大滝詠一・岡林・かまやつ・佐野元春・奥田民生となっている。

山下氏は「音楽はサブカルチャーだけれど、マーケティング上はもうメジャーであり、エンターティンメントは同時にビジネスでもある。そのビジネスを取りこぼさないように、新しい勢力が出てくることによって既存の勢力が打ち負かされないように、まるでパックスアメリカーナのような手順で動いている。」

「でも、それは音楽とは関係ない。音楽に罪はない。その人の生き様と、その人の作っている音楽は全く別物だっていうのが、僕が30年間貫き等している主旨だから。」

私は生き様という言葉が嫌いなもので、山下氏があっさり発言しているのはどうもすっきりしない。個人的発言ですヨ、これは!

達郎氏は、自分の曲で最高傑作は、詞・曲・編曲・演奏・歌唱全てを併せると「クリスマス・イヴ」と発言している。しかし、個人的には違うらしい。
シュガーベイブでは、「雨は手のひらにいっぱい」らしい。

わたしは、LPとCD両方もっているから、大変である。ボーナス・トラックなどナイヤガラ系の人たちは大好きなので勘弁して欲しい。でも、最近はLPからCDヘコピー出来るらしいから、もう少し悩んでから買おうかな。

あの[SONGS]は当時ボロクソに言われたから、随分落ち込んだらしい。でもそんなに悪くなかったと思うヨ。

山口が音楽的に、合う人居ませんでした?と聞くと「いなかった。いまでも音楽的に100%合う人は、正直言っていないと」

「不幸ですが、それは僕の趣味の範囲が広すぎるというか、ライヴでの要求度が高いとかいろいろあるので。リハーサルやって、翌日一曲一曲全部チェックしたレポート用紙を10枚くらいもって、バックメンバーに対して、あの曲の3小節目のあの音はいらない、キーボードのあそこはとんがっているから低く」などと要求しているとか。これはもう、偏執狂的凄みを感じる。もっとも、だからこそ1人で多重録音でアカペラのアルバムを出すんだろうな。

次は岡林選手。
ある雑誌記者の話として、ボブ・ディラン初来日の時、美空ひばり嬢は武道館の最前列で観ていたという。何故だろうと思ったら、岡林選手が美空嬢にディランが大好きと言ったからだと。
感想は「岡林君のほうが良かった」と言ったと。

私も大阪公演は観ているので、懐かしかったですね。でも武道館ライヴは、最高にダイスキアルバムですヨ!

後の方々は、私の範疇外だから、軽く流し読みで、大滝氏も専門で大好きだけれど,...

2008/04/29

賢い身体 バカな身体/桜井章一 甲野善紀

伝説の勝負師と身体の革命家の対談で講談社からの出版。

桜井氏は不利な条件というのは、勝負にとってありがたい。不利な状況をしのいで何ができるかと言うのが本当の勝負だという。例えば、相手の劣勢を見て勝負をかけるのは勝負所ではなくてチャンスである
と。

勝負所は相手の隙を攻めるということを超え更に上にあるものだ。相手が6分、7分こちらが3分、4分で相手が攻めてきたときが勝負所だと。
リスクやハンデをいっぱい背負った不利な状況だと全身全霊で向かっていかなければならない。そこで劣勢をひっくり返すギリギリの力が出てくる。
大勝負の前は「飲まない、食べない、寝ない」の状態で勝負の場に臨んだという。

甲野氏は、「運命は変えられる」と言って断言している占い師は、「品がない」と思う。氏は、21歳の時「人間の運命は決まっているけれど、自由だ」気づいたときから、自分の身体の感覚で確かめたいと思ったからだと。

武術は一瞬で生死が分かれる。そういう世界に身を置いて、人間の運命は決まっていて、同時に自由であると言う二重性、矛盾を体感、実感を持って確認したいと思ったと。

韓先生という人物が、「これがいいという感覚を覚えておいて再現してはいけない」と言ったと。
「この感覚を忘れない様にしよう」と思うと、頭でそれを覚えるから、いわば3次元的なものを平面化してしまうので、良かった動きが出来なると。

これは良かったという動きも、放っておけ、忘れろといい、それが身体で自然に出るようになればいいんだと。
このへんは、禅問答ぽいかなと思った私ですが・・・・

宗教学の植島啓司は、「偶然とは必然の中に起きる。人には感じ取れないほどの微細な動きがある現象となって、それを感じ取れる人にとっては必然になるし、分からないひとには偶然になる」・・・奥深い!

また、甲野氏はスポーツ選手がスランプと言うが私は30年間スランプというものを経験した事がないと。スランプはいいときの状況と比べるからそうなるのであって、自分に納得できないならスランプになりようがない。いまあるものを肯定するのでなく、絶えず否定している。

まったく関係ないが、ゴルゴ13の作者のさいとう・たかを氏が少年時代、白紙で答案用紙を出したら、担任教師に「白紙で出すのは自由だが、白紙でも出した責任があるんだから自分の名前くらい書け」といわれ、それが心に響き、その担任の名前が東郷だったから「デューク東郷」にしたという。なぞが解けた!

精神科医の名越氏は「便利さを追求する世の中であらゆる事が便利になっていくが、人間関係だけは便利にすることが出来ない。そのストレスが、家庭崩壊や職場の人間関係のトラブルを加速させている」と

なかなか考えさせられた本でした。

久しぶりの更新です。
16日は約200種類のワインのテイスティングで17日は約120種類くらいで、18日は180種類でなかなかハードな3日間でした。

全体として酸味が強いワインかな、と言う印象でした。中には酸味を売りにしていると言っていたところもあり、私は少し?です。
バランスが悪い気がしますが、世の流れに抗えない部分もあって、どう商売と両立させるのか、これも、悩ましい。

2008/04/19

ワインの自由/堀賢一/集英社

腰巻きは、ワイン好きの必読書となっている。第一版は1998/10/10で私の購入したのは、2007/10/23の第三版である。
推薦の言葉は、R・パーカー氏である。

ワイン産地
葡萄栽培
ワイン醸造
熟成
価格
サーヴィス
ワインの喜び、といった流れで記述されている。

国産ワインについての言及で、「国産ブランド」に使用される原料のトップに濃縮マストと呼ばれる、ジャム状の輸入濃縮果汁があること、とある。
1995年度に輸入された濃縮マストは、700万リットルで通常3~4倍希釈して醸造するため「国産ブランド」出荷量の約36%にあたる、となっている。
ただただ、関税の抜け穴があり、安くワインを仕上げるため。

テロワールの章で、土壌に言及し、葡萄が栽培された土壌を連想させるワインのニュアンスと、実際の葡萄畑の地質にはなんら関係はない。と研究家の言葉を紹介し、フランスの土壌学の権威の「土壌の科学組成がどうかというよりも、土壌の密度や水捌けの良さの方がはるかに重要だ」との記述がある。さて、皆さんの判断やいかに?

収量制限については、剪定を厳格に行うと、夏の未成熟果の間引きはさほど必要でないとある。
しかし、あまりに剪定で収量制限をすると、果粒が大きくなりすぎる。これは試行錯誤問題でもあるらしい。

無添加ワインの功罪とあり、オーガニックワインの醸造にあたって唯一使用が認められている科学物質として、亜硫酸を取り上げている。
無添加と名乗ることによって、あたかも亜硫酸が絶対悪のように消費者に認知されているのは嘆かわしいと述べている。
せっかく製品化されたワインが劣化するとしたら、さてどちらを選択するかは明らかだと思いますが、消費者の潔癖さも尊重しつつ、商売をしなければならないのも事実です。
しかし、美味しいワインの劣化には耐えられない、なあ!

補糖と補酸とあり、これの同時使用は禁止とある。
問題があるのではなく、ワインの質を改善し、ワイン醸造を衛生的に行うならば、という条件が付く。
カリフォルニアやオーストラリアでは補糖は禁止。ボルドーやブルゴーニュは補糖と補酸の同時使用は禁止である。
利益追求のみの生産者が乱用すると、質の低下と偽造を招くからと、ある。
厳格な収量制限を行えば、補糖と補酸は不必要で秀逸なワインを生産できる、と述べています。
さて、補糖と補酸をしたワインを区別できるのかしら?

ソムリエへの提言、という一節があり、なかなか、単純で面白い。

料理とワインの相性、とあり、 マグロの握りとピノ・ノワールとあって堀氏は合わない理由をのべている。
鮨には誰がなんといってもお茶である。と書かれているが、日本酒があるじゃありませんか?と言いたい。刺身や鮨があって、お酒がないのは、悲しい。やや体温に近い
お燗でやりたいです!

デキャンタージュに言及し、
最大の目的は、澱が発生しているワインの上澄みだけを他の容器に移し替えることのみ。といっている。
ワイン醸造の世界的権威であるエミール・ペイノー元ボルドー大学教授は、デキャンタージュの第二の効用に反対する論客の1人である。
教授は「健全なワインに溶解した酸素は通常有害で、酸素に触れ合った時間が長ければ長いほど、ワインは香りを失い、ワインの質は低下する」といい、「デキャンタージュは澱のあるワインにのみ行うべきで、しかも飲む直前に行われるべき」と結論づけている。
さてこれも、個人の好みと言い切るべきか、それとも......

ロゼに対する先入観とあり、
白ワインに赤い色素を加え、人工的に造ったロゼとその元の白ワインを専門家たちに試飲させ、「どちらのワインの方が残糖分が多いか」という質問をしたら、結果は、ほとんどのワイン専門家が「ロゼの方が甘い」と答えたという。
視覚と先入観が正確な判断を鈍らせたと言うことだ。

過年とあるフランスのシャトーで試飲している時、真っ黒のワイングラスを見たことがあった事を思い出した。
これならば、わざわざ暗闇で試飲しなくてもいいんだな、と思った。でも一度だけで他では見たことがないぞ。

2008/3/30  

ロスチャイルド家と最高のワイン/日本経済出版社

久しぶりの更新です。
知人とスペインの展示会に行き、時差ボケで立ち直れなかったりで、やっと回復してきました。

本の腰巻きは、華麗なる一族が辿り着いた究極のワイン・ビジネス、となっている。

偉大なる家名の由来とあり、ロートシルトを「赤い楯」と訳しているものが圧倒的に多いが、ドイツ語の「シルト」には男性名詞と中性名詞があり、男性名詞なら「楯」だが、ロスチャイルド家のドイツ名「ロートシルト」は中性名詞であり、この場合の「シルト」は「標札・標識・看板」の意味であるから、「赤い標札・赤い標識・赤い看板」ぐらいに訳すのが適当であろう、とのこと。

ユダヤ人横町に生まれたかつての孤児マイヤー・アムシェルこそが、ロスチャイルド家の名前を揺るぎなきブランドへ育て上げた人物であり、世界中のどんな金持ちも権力者もロスチャイルド家を無視できなくした。伝説の始まりである。

マイヤーは、息子たちに対して、兄弟のうち誰1人として自分勝手に単独で投資してはならない、利益は持ち分に応じて分配するように言い聞かせ、誓約書まで書かせ、女性の事業参加はいかなる場合も禁じた、とある。
家紋に刻まれた「協調」の家訓は、マイヤー・アムシュル・ロスチャイルドが遺したもっとも重要な言葉であり、息子たちの胸にもまた消しがたく刻みつけられていた。

ロスチャイルド家はユダヤ人社会の手本であり、代弁者であり、支えであった。ユダヤ人にとって、夢と希望を映し出す鏡でもあったがために、これがキリスト教徒たちのねたみを尚のこと激しく刺激した。

社交活動は、直接間接的に商売に役立つからにすぎず、良い人間関係を培い、人脈を広げ、役に立つ情報を手に入れるため、と割り切り、顧客の機嫌をとることは欠かしてはならない事業戦略の根幹であり、大物たちとの関係を支える大事な仕組みにすぎない。
「ご婦人方には会場に入場の際、もれなく全員に花束とダイヤモンドの指輪もしくはブローチを差し上げます」と宣伝し、かつてのロシア皇帝の料理番をつとめた料理人アントナン・カレムが腕をふるったという。いつの時代も宣伝と美味しい物には目がないのは、万国共通であるらしい。

後は、興味があるか無いかだけ、権力闘争の変遷・歴史の連続です。

2008/3/28

体が変わる「きくち体操」/菊地和子/廣済堂出版

やっぱり、健康オタクであります。
バックに流れているのはKenny'babyface'edmondsのplaylistです。個人的に好きなのは、time in a bottleとwonderful tonightと天国の扉ですな。  

ボブ・ディランには、昔から惹かれているもので、つい買ってしまうのが玉に瑕です。

きくち体操は、ご老体向けなので、イラストは大きいし、分かりやすく子供向け文章みたいに丁寧に書かれている。
年なんだから無理・頑張りは御法度とのこと。

日頃使わない筋肉を使うことこそ、老化予防のようである。むやみに長生きはしたくないけれど、病気とか、あちこち痛むのは矢張り楽しくないので、ちょこっと試しながら、美味しくお酒を飲みたい。

決算も終わり、前月に試飲した日本酒が続々入荷してくるので、条件を整えて早めにアップしたいものです。

先週は、例会のテイスティング兼食事会があって、ワイン中心であったが、個人的評価と挙手による好き嫌いの結果の落差がありすぎてショックでありました。

商品を売らなければならいのと、個人的評価の得心のいくお酒を提供する気持ちの狭間で揺れる想いです。

とりとめのない話になってしまいました。

2008/3/5

越境者 松田優作/松田美智子/新潮社

やはり、2日ほど展示会と試飲会で更新ができませんでした。昨日のワインの試飲会は約200種類で価格帯が3000円からのものが中心で、納得できる物は20種類くらいで難しい選択でした。

腰巻きは、出生の秘密、苦悶の青春、そして知られざる死の真相。
壮絶な最期から20年。
元妻にしてノンフィクション作家の著者が描く、衝撃の評伝。
となっている。

松田優作というと、ラストの「ブラックレイン」のイメージと「ジーパン刑事」なんだろうが、私としては、「陽炎座]と「家族ゲーム」の方がしっくりきていた。
この本を読んで、何となくそのしっくりしていた感覚が分かったような気がした。

彼の出自は、前から有名だったが、一度著者と結婚しており、娘が二人の間に居たことも今回初めて知った。

エキセントリックで激しやすい性格と間違っていたら直ぐ反省するする一面も読み進めていくと分かってくる。
水谷豊とは、終生の友であったらしい。
優作は、誰かと会ったとき、直感的に相手との間合いを計り、何気なさを装いながら、実は用心深く会話を進めるのが常だったが、豊の場合は、そんな用心は吹っ飛んでいたという。

彼の帰化申請は、「太陽にほえろ」の放映後2ヶ月頃からはじめて、約三ヶ月で許可されたという。

優作は60年代のジャズに凝り、マイルス、コルトレーン、ロリンズ、ビル・エバンス、マル・ウォルドロンなどを集めていた。

P218の一節に、著者とは嫌いで別れた訳じゃない・・・・と続く一段があり、彼の優しさと自分自身の感覚(?)に忠実に生きる姿が分かる。

ラストは唯一女性の親友であった桃井かおりの優作との交友関係が語られている。
濃密な関係であったと思われるが、さすがに女性的な見方はするどい。

2008/2/26

うまい日本酒はどこにある?/増田晶文/草思社

3日間展示会と試飲会などで東京へ行っておりまして久しぶりの更新です。

日本酒に関しての本は、いろいろ読んで著者の薦める酒を、できるだけ飲みたいと思っていますが、今回での試飲ではやはり、焼酎の美味しい物が多かった。

話は以前書いたワインの樹齢の話になるんです。相変わらずの脱線で済みません。
樹齢35年説に対して、ちょうどフランスから12代目のオーナーがきていて、食事会の時、質問してみました。
彼女が言うには、「40年の木でも60歳ぐらいのパワーしかないものあるし、70歳でも40歳くらいのパワーがあるワインになる場合もあるわよ。」とのことです。

彼女は、秘蔵の1978と1985と1988のマグナムボトルを食事会に提供してくれて、試飲してみて感動しました。
彼女は'78が好きだといったものの、知人と私は'85か’88の方がまだまだ美味しいと思いました。
首をかしげつつ、最後にマグナムボトルの底の部分を知人と飲んでみたら、’78がまだパワフルで美味です。澱はないし最高でした。続けて’85と’88も底を飲んだんだけれど、ブラインドで試飲したら、違いは明らかに分からないかもしれなかったので、2度ビックリでした。

そして、ワインに酸は必要なのかという質問に対しては、全くないといけないけれど、ある程度、酸はワインに対して保険をかける意味で必要な要素ではある、との答えでした。

例によって吟醸香の絡みはどの本にも書かれている。
かといってアルコール添加を全く否定するのもいかがなものかと。
良心的な蔵は、添加用のアルコールを何年も熟成させた上で炭素をかけて、臭いを無くし、熟練の杜氏が絶妙な采配で加えている蔵もあるという。

山田錦が万人このみの八方美人なら、雄町はグラマラスでふくよか、細身の千本錦はきれいな酒になり、八反錦は中肉中背などという記述もあるので、参考に飲んでみたい。

どの蔵の後継者も、若い頃は自社の日本酒が大嫌いだったといっている。そんな酒が大量に売れていた時が、日本酒の時代でもあったんだけれど、確かに日本酒は美味しくなかったと思う。しかし、底からの脱出はまだまだ先になるだろう。

蔵によっては、「米の背中と腹の贅肉をとる」という意見から、米全体を同じ厚さで削って小さな球にする「原型精米」と、米の形に沿って不要な部分を削る「扁平精米」の両方で比較して日本酒を醸しているところがあるという。

ラストのところに、若者が日本酒を飲まない理由として、
人間の嗜好は動物としての基本的な栄養に対する欲求と、後天的な地域の文化や環境に大きく左右される。
脂肪や砂糖(ブドウ糖)、塩分などの栄養に対しては万国共通どころか、ラットや犬も食指を動かす。後天的な側面は、何をたべてきたかということに繋がる。
食べ慣れた味は美味しい。
例として、
「欧米人はカツオや昆布のダシの香りには反応しませんが、日本人は満腹であっても、そば屋の前でこの匂いを嗅ぐとすぐに反応してしまう」

伝統的な日本食を排撃する風潮は、1960年代半ばから、70年代を経て、80年初頭まで続く、その間に、市販のベビーフードはもちろん、家庭で作る離乳食も日本食離れが顕著になった、と。
醤油やダシの変わりにケチャップ、ソース、クリーム煮、みそ汁でなくコンソメスープが台頭したと。

ベビーフードの和光堂によると、
70年代から洋風離乳食が台頭し始め、80年代に全盛を極める。和風メニューが再び脚光を浴びるのは90年代に入ってからだという。
そうなると、現代の30代半ばから20代、高校生あたりにかけては、乳幼児期に「日本食の刷り込み」十分になされていないと。
だから、彼等にとっては日本酒は美味しくないんです。パンやミルク、デミグラソースにケチャップ、マヨネーズが大好きな彼等には、ビールやワイン、それに蒸留酒の焼酎が口に合うんです。

これで全てが納得いく説明にはならないんだろうが、うなずける部分はある。
でも、まず日本酒が和食合う味わいにならないことにはどうしよう無い。

再びディナーの時の話に戻るんだけれど、店のシェフは当日のために同じシャトーのワインを4本テイスティングした上で、メニューを決めたという。素晴らしいマリアージュであった。

ここで和食の名店と呼ばれる店の話になるんだが、食事やつまみは最高で、日本酒も銘酒と呼ばれている品揃えは素晴らしい。
しかし、両者は見合いにまでに至らず、玄関で激突という状態だと思う。
料理人は、絶対に自分で酒を飲み自作の料理を食べているはずはない。
これは自信を持って言える。
とある寿司屋でビールの品揃えは、キリン・アサヒ・サッポロ・サントリーとあるのに何故日本酒は一種類しか置いていてないのか。
おまけに全然鮨に合わない。人をバカにするのもいい加減にしろ、と言ってやりたかったが、私も少し大人になったので、我慢しました。

酒飲みで、いや、酒の味が分かっていてなおかつ、料理も美味しい店を(値段もリーズナブル)探す旅は続く。

2008/2/23

生命の穴/杉浦昭義/幻冬社

耳鼻科のお医者さんのお話である。
イタリア式の不思議な耳掃除機(?)のお話ではじまる。ちなみに、イタリアには、日本にあるような耳かきは無いとのこと。

飛行機に乗って、「耳が痛くならない対策と予防法」は、上昇・下降ちゅうに自覚症状があれば、まず、鼻をつまみ、口を閉じてつばを飲み込む動作をする。
ガムや飴をなめるのも有効な方法とある。

耳が痛くなったり、耳鳴りが起きたら、痛む方の耳をしたにして、頭を下げる姿勢をとると、苦痛が軽減されるとか。

また蒸しタオルを耳に当てると痛みが取れる場合があるらしい。

風邪を引かない予防法は・・・・・とあり、
「うがい励行」のみである。と断言している。うがい液は市販のものでも、水・ぬるま湯でも良い。
帰宅後は必ずのどの粘膜に付いた雑菌・異物(花粉)を物理的に洗い流すこと。

このうがいの方法は、歯磨き後のブクブクくらいでは、喉の奥に届かない。
頭を後方に倒し、天井を見ながら、大きな口を開けて、半分飲み込む位の位置で、「ガラガラ」やらないと効果は少ないとある。

残念ながら、このうがい励行でも雑菌を洗い流すことはできないとのこと。
体調を整え、ひたすら風邪と対峙するしかないのか?

因みに、私は秋口から乾布まさつを励行しております。この数年、鼻風邪はひくものの、寝込んだことはありません。
万人に向くかは、分かりませんゾ。

2008/2/17

本物の日本酒を!/船瀬俊介/築地書館

日本酒が好きなのだが、本当に売れない。
美味しくて、毎日飲めて、お手ごろ価格の日本酒となると、悩んでしまう。
名店と呼ばれる、寿司屋さんでも、日本酒の品揃えとなると、寒々しい現状だ。
メニューの日本酒と自慢の刺身で食べ合わせをしてみているのか、常々疑問に思う。

ニセ酒の元凶は原料アルコールと、ある。
偽物の系譜--原料用アルコールの原料は廃糖密だ。
サトウキビの絞り滓(廃糖密)からつくった工業用アルコールである。

焼酎甲類は当然のこと、ウイスキー・清酒etcに使われ、必要不可欠の主原料と化している。

日本酒の裏ラベルの醸造アルコールが、原料用アルコールであることは、酒屋の常識だが、世間一般の常識であるかは、疑問である。

酒にクラシックを聴かせる。とあり、
「音」と「生物」の関連性が科学的に実証されている。
その実験は--酵母に
1クラシック
2ジャズ
3演歌  を聴かせて、以下を比較したという。
それは「もろみ」中の
A酸度
Bアミノ酸度
C酵母酸度
D酵母菌の死滅率・・・・の4点を観察。
その結果モーツァルトを聴かせた「もろみ」に驚くべき結果が得られた。

それは酵母菌の「増殖速度」を増し、「死滅率」を減少させ、「アミノ酸」生成を低下させた。
これを基に、「音圧による醸造方法」として特許が認められたという。

日本酒の裏技・料理との相性なども、細かく紹介されている。
吟醸酒をみそ汁にちょいとたらして、かき混ぜ、ワッと沸騰させて火を止める。一流料亭顔負けのみそ汁の出来上がり、となる。
早速試してみよう。

ラストは、お勧めの日本酒も紹介されている。一読をお勧めしたい。

2008/2/13

100歳まで元気に生きる!/アスペクト

サブタイトルは「科学的に証明された長寿の秘訣」となっており、健康オタクにはたまらない!!

序文では、老いることに肯定的な見方をしている人は、否定的な見方の人より7年半も長く生きた。という件がある。
現在医療が、健康よりも病気に焦点を合わせているのは確かにおかしい。人々を健康で長生きさせる特質や、年老いても元気で自活させる特質こそ注目すべき点である。

山間部で長寿の村の件で、「私たちはそれぞれ2人の医者を抱えている-左足と右足だ」という金言を読むと、「二食は自分自身のため、もう一食は医者のため」などという格言も思い出す。

途中81Pには、
若さは人生の一時期を表す物ではない。それは心の状態なのだ。意志や感情のレヴェル、元気な感情の問題だ。
歳月は肌にしわを作るだろうが、情熱を捨てるときには、魂にしわができる。

111Pには、
全てを手に入れた男の不幸、とあり資産五八億ドルのマーヴィン・デイヴィスを紹介している。
彼の家は宮殿みたいで、ドアの幅が全て通常の二倍あった。あってみると体重180キロの大男で、大きめのドアでも通れない。
確かに「人生には、全てを所有するよりも大切な何かがある」

123Pは、結論は明白だ。わずかな例外を除いて、肉体的老化のうち遺伝子に起因するのは、約三割にすぎない。
加齢が進むほど遺伝子の影響は減少する。
マッカーサー財団の調査によって、老後に対する責任の大半は自分自身にあるという強力な証拠がもたらされた。

149Pには、
ガンと動物性食品との関係、とあり
2001年ハーヴァード大学は、乳製品と前立腺ガンに関する総合的な調査において、長年乳製品を多くとっている人は、進行性前立腺ガンになる確率が2倍、転移性前立腺ガンになる確率が4倍高いと報告している。反対に果物と野菜を多く食べると、進行性前立腺ガンになる危険が低くなると。牛乳よりは、豆乳が罹患率が70%低くなると、ある。
これは、男性には切実な問題ですな。ビリーブOR・・・・・・・

174Pは、あなたにできること、とあり
実は組織のほとんどは常に新しくなっている。胃の細胞は4日で入れ替わり、赤血球は4ヶ月で入れ替わる。成人の肝臓の細胞は300日から500日で全て新しくなる。
今日あなたが食べるものが、明日のあなたの体を作る。として38項目の諸注意が続く。これは読んでみて下さい。

自然食品しか食べないが、運動はしないという健康バカがいるが、彼等はとうてい健康そうには見えない。
一方で、ものすごく運動はするが、ジャンクフードを食べまくる輩もいる。
運動は王で、食事法は女王だ。2人が一緒にならないかぎり王国は築けない。
これも、何となく納得です。

終章は、脳の健康を保つ。
年をとっても、元気で健康な肉体があるかもしれない。だが、幸福に生きるには、頭がちゃんと働くことが極めて大切である。鋭く明晰な頭を保つことは、人生を通じて大切なことだ。
認知症にならない対策が続く....
これも、信じる方は読んでみて下さい。

元気に小言の一つも言って、美味しいお酒を楽しんで天寿を全うしたいです。

2008/2/10

日本語でどづぞ/柳沢有起夫/中経文庫

たまには、笑える本も大好きという一面を・・・・
サブタイトルは、世界で見つけた爆笑「ニホン」誤集となっている。余り悩まずひたすら笑うのみです。

台湾製の納豆こんにゃくビスケット(ビスケッイ)
説明は、「よりすぐった大豆を炭火を使って育てました。
カップの底にディンプルを施し、さらにおいしくなった納豆です。」
毎日生機の、となっている。これは不可思議なたべものです。

読み進めると、日本のお菓子が大人気とあり、オーストラリアでは、ポッキー・コアラのマーチ、きのこの山たけのこの里などチョコレートとビスケットの組み合わせが人気らしい。また、いちごポッキーなどストロベリー味もなかなかの人気とか。

つぎは、「僕の名前を漢字にして!」というリクエストが多いものの、イタリア在住の方が、ファブリッツィオ君、アゴスティーノ君に頼まれても単純に漢字には変換できない。

ラストは日本語修行中の方々の爆笑編
ある留学生が日本の満員の地下鉄の中で席を見つけ、
「すみません、サワッテもいいですか?」
気持ちはよく分かる。

ウチの夫(フランス人)の大好物は「うなぎと穴子」であるが、「日本食は何が好き?と聞かれて、
「おなごだいすき!」とこたえるのはやめてください。とある。
これは、ボケだと思うが.....

495円で笑えました。

2008/2/9

百歳まで歩く/田中尚喜/幻冬社セレクト

久しぶりの更新です。
2月6日7日とワインの試飲会に行ってきました。両日で約250種類くらいの本数をテイスティングしたんだけれど、価格帯が高い物ばかりで、納得した内容で安旨ワインとなると、なかなかいい物がありませんでした。

この本はイラスト図解入りで分かりやすく説明されているので、お買い得なのかもしれない。

中年以降の筋肉の鍛え方を丁寧に説明してくれる。これから始める「筋肉作り」の優先順位が分かる。

筋力は貯金(筋)できないとあり、筋肉を動かさないと貯金は減るばかりとなっている。年齢にあった筋力トレーニングこそがこれからの各人の生き残り(?)にかかってくるようだ。

中高年は歩数を稼ぐより、正しい歩き方を身につける方が健康への効果大とある。
むやみやたらな運動は、あまり役立たない様です。

2008/2/8

お金が無くても平気なフランス人お金があっても不安な日本人       /吉村葉子/講談社文庫

たまにはお気楽なエッセイもいいのかもしれない。フランスに旅行に行って業界の人たちと話していても、彼等は倹約家である。
シャンパンなんて記念日かよっぽどのイヴェントでもないと僕らも飲まないよ、という。普段はカバで十分さといっている。

このエッセイのなかにも、
「高いバッグや宝石を身につけるには、それなりの洋服が必要だし、バックだけが目立つ服装はおかしいと。ジェーン・バーキンやグレース・ケリーのために作った鞄が私に似合う筈がないと。」

また、フランス人の子供は、給食のテーブルで、水をこぼしたときに、
「水がこぼれた」という。

なんとなく、彼等の精神構造が見えてくる一節だ。主体は誰なんだ、と思いながら私は悪くないといってもいるようだ。
他民族をみて、我を振り返るのも時折必要なことだろう。

議論のための議論は不毛であるが、問題解決のためのお互いの会話の方法を、学校で訓練していない日本人にとって、国会の討論?と自己顕示のための論争には、辟易させられる最近である。

ガソリンと税金と道路の問題などは、費用対効果をもっと正確にシュミレーションして、結論を出してもらいたいし、ビールの異常な税率を変えることこそ、まず第一歩なのでは、と思う。

2008/2/2

この後、日経のオンラインで宮田秀明氏の「道路予算は地方を救わない」を読んだ。

彼等は関東運輸局の依頼で、東京湾の有効利用の研究をかつて行ったという。東京湾アクアラインのできる前のことだという。
木更津と川崎の間をフェリーで結び、道路の渋滞を解消しようというものだった。

この答えは簡単だった。車を80台積めるフェリーを10~15隻建造すれば、日量7000台の車を片道1時間もかからないで運べる。

1隻20億円くらいだから、船舶に200億~300億、そのほかを含めて600億円ほどの投資で賄えそうだった。だが、総工費1兆4000億円をかけて50年計画の償還がまず不可能なアクアライン案とは比較検討さえされなかったという。

2008/2/3

どうすれば本当に美味しい料理店に出会えるか/西部一明/アスキー新書

久しぶりの更新です。
最近お気に入りのマイルスの「オン・ザ・コーナー」を聴きながら書いております。

サブタイトルは、一億円食べ歩きした達人が教える感動できるレストランの見分け方となっているが、残念ながら内容は期待するほどではなかった。

料理店を経営していて訳あって閉店したご当人であるので、もう少し内容が伴うと思ったが・・・・・

店を選び、食事を楽しむ鉄則と準備は、
食事の相手が、本当に楽しめるかということと、美味しい内に食べることも、食事を楽しむ上で重要とある。全く、納得のいく意見である。

トリュフは、分かりやすく納得のいく説明をしてくれるが、別段、私は美味しいとは思わないし日本人には、余り関係にない食材だと思う。

サービス料とチップの違いは・・・
ヨーロッパでは、チップ制度が料理店を後押ししてくれる。日本おいては、サービスという仕事が、尊敬もされておらず、重要視も期待されていない。それは、チップ制を導入しなかった事の帰結である。とあるが、日本でチップを払って、さて、本当に気持ちよいおもてなしをしてくれた当人の収入になるのだろうか?これは疑問だと思う。

あちこちの料理店で半ば騙されて多額のお金を払った後で、「本当に旨いワインはどんなものだ」と著者に聞いた人がいたという。
それに対して、自分用の、店に出せば5万ほどのワインを開けて飲ませてみせると、お客は確かに美味しいと認めながら、「このワイン、本当に5万円もするの?」と聞き返したという。聞かれた以上、「いえ、お客様にとっては5万円の価値はないのでしょうか」と答えるしかないと。しかし、著者はそのワインを手に入れるために4万円を使い、通常の売値としては5万円を遙かに上回る物だったと。

ワインばかりは、需要と供給の関係で価値があろうが無かろうが、値段は決まってしまう。美味しいから高いとは限らないし、安旨ワインだってたくさんあるんだから、値段ではなく料理に合わせて、ワインをチョイスしてくれる店を発掘するしかないだろう。

料理店を成功させるには、といった件もあるんだが、余り参考にはならないと思う。

結局、この本を読んでも、美味しい料理店には出会えない気がする。

2008/2/1

江戸前鮨仕入れ覚え書き /長山一夫 /村松印刷

なかなか奥が深い江戸前鮨について、賢人が説明してくれる本である。 鮮度と旨さのとらえ方、とあり 「締める」ということ(日本料理の偉大なる知恵と文化) (イ)活け造り 身が生きていて、まだプリンプリンの状態の魚を素早く刺身にすること。 「生きている魚=美味」の図式は貝類にのみ当てはまる。ほかの魚は、全て瞬時に締めてから、一定の時間経過によって、初めて身質が熟成し、旨味の発揮が増大、加重される。・・・とある。 (ロ)活け締め 夕食時に食す時間帯をターゲットにし、熟成の所要時間を計算してさかのぼり、朝の市場で、一定の時間に、包丁と針金で魚を一瞬にして締めることを「活け締め」という。 *白身の魚は捕獲後、産地で2・3日、生け簀で泳がせた方が身質が自然時に戻り、美味になる、という。 *最近高級魚の入荷はほとんど全て種類を問わず、「活け魚」扱いが圧倒的に多くなって、いたずらに魚を高くし、ムダが多い。・・と (ハ)浜締め 産地で包丁と針金、さらに大量の氷で瞬時に締め、消費地へ出荷することを浜締めという。 (ニ)野締め 網漁等で大量に漁獲される大衆魚は漁獲中に「あがり」がでやすく、個々包丁で締めるのも不可能であり、漁獲後ただちに氷で締める。 例 カツオ ブリ イカ類 全ての大衆魚 (ホ)自然死 手当の悪さと放置によるもので、死後の劣化が著しく、身のゆるみも早く、不味く、痛みも早い。 以下、赤身・白身・青物・貝・海老・烏賊・煮物・ひかりもの・ウニ・・お米・海苔・山葵・日本酒と説明が続く・・・ 尚、凄い人では2年半のもの間、寿司屋さんの休業日と当人の不都合な日を除いてほぼ毎日、2本のビールと六貫の握りを食べ続けた人物がいるという。 季節のお勧めも含めて、鮨は奥が深い! 2008/1/18

脳と心で楽しむ食生活 /家森幸男/生活人新書

サブタイトルは、人間は110歳まで生きられる。とあり、魅力的な誘いである!

前説で、減塩によって、3年寿命延長が可能で、大豆や魚を食べることで7年確実に寿命を延ばせるとある。
また、楽天的に生きる人は、そうでない人に比べ、心臓死に至る確率は45%しかない。

そして、「長寿の秘訣アイウエオ」を紹介して、本文に入っている。

ア-あっさり塩味、脂味、淡泊な味で蛋白質を
イ-いろいろ色物たべて腹八分目
ウ-運動はニコニコペースで
エ-栄養は子供の時からの習慣で
オ-美味しさを頭と心で味わおう

100%脳卒中になる遺伝子を持った脳卒中ラットでも、食事によって発症を防ぐ事ができる。ということが、ラットで証明されている。故に、長寿に秘訣は食生活にある。

後は書き抜きになるので、できるだけ全文を読んだ上で判断して下さい。

主食に米を食べるというのは長寿に秘訣である。肥満が少なく、コレステロールも少ないため心筋梗塞が少ない。

魚を捕っている人たちには、肥満も、高血圧も、高脂血症の割合もすくない。 魚を食べて交感神経をなだめると、心拍数がゆっくりとなり、その分だけ寿命が延びる。


大豆の秘密はイソフラボオンにある。
脳卒中ラットの研究から、大豆の蛋白質をとっていると脳卒中を防げる、というデータを得ている。・・と
食塩の害を打ち消すためには、積極的に大豆を食べましょう。そして、魚と一緒に食べることによって、スムーズに悪玉コレステロールが処理される。

2008/1/17

挑戦する酒蔵 / 農文協

日本酒に関して、前から思っていた解答があった。

吟醸酒は錦の御旗?とあって
国税庁の人たちというのは、吟醸酒を錦の御旗にしてやってきた技術集団です。
確かに昔は、うちでも吟醸酒を造っていました。吟醸酒は僕自身好きじゃない。体に合わない。簡単です。どうしてもあの酒になじめない。あんな酒質や香りが僕は嫌いだったんです。これは嗜好の問題です。
P118

原料からいって、ワインと似ているわけがないんです、基本的に。それはソムリエの皆さんもいっていました。
酒に原料特性が出ているかどうか。世界中の酒はみんなそうです。原料特性が製品にに表れていることが大切なんです。
だから、原料特性を頭から否定する考え方にはついていけなかったわけです。米を使って、ワインのような柑橘系の香りを追いかなくったっていいんです。

吟醸酒は原料特性をわざと活かさないようにした、極めて例外的な酒です。原料の米を6・7割も削って造るというのは、世界中の酒の中で異常なことなんです。

それから、もうひとつあってね。役人には「この酒はいい」とか「この酒は悪い」とか言う資格はないと思う。それについて技術屋の人たちと議論をしたんです。
「あんたら、アルコール度数で税金が決まっているんだから、そのほかのことは、金を払うお客が決めればいい。あんたらが色々言う資格は無いはずだ。
・・・白木恒助商店6代目蔵元の白木善次氏のこの意見こそ、いつも思っていた疑問を簡潔に言い当てている。

絶対に吟醸香は和食の風味を台無しにて、旨味・味わいを損ねてしまう。吟醸香をありがたがる風潮こそ、日本酒衰退の一因ではないだろうか?

2008/1/16

村上ソングズ /村上春樹・和田誠 /中央公論社

アイデアの主は、和田氏である。

歌詞の内容は、たぶん村上氏が口ずさんでいたものが、セレクトされているのだが、あまり知っている曲がない。
ライ・クーダーの「沖縄にもどるよ」
グレン・キャンベルの「ガルベストン」
ランディー・ニューマンの「羊くん」
は知っているが。さて、ランディ・ニューマンなんて聴き込んでいる人が何人いるんだろう?

確かににスタンダードはあるけれど、ひとひねりで、好みはよく分からない。もっと理解しやすい選曲はなかったのかと思う。 

当然、話は脱線する。

マイ・ソングは、西岡恭蔵の
「占い師のバラード」である。作詞は、ラングストン・ヒューズで訳詞が木島始で作曲が西岡恭蔵である。
これは、隠れた傑作であり、プカプカの作者でもある恭蔵氏の名作であると思う。

もう一曲は、作詞作曲西岡恭蔵であるが、私が大好きだった金子真梨との競演曲の「踊り子ルイーズ」である。
金子真梨はどうも歌曲に恵まれないでいたが、この曲は彼女のベストではないだろうか!ブルージーでソウルフルな彼女の声質にぴったり。
バックは、伝説のハックル・バックでなかなかのサポートである。

2008/1/15

もう一席うかがいます。 /古今亭志ん朝 /河出書房新社

噺家というと、志ん朝であった、と過去形で書かなければいけないのは、悲しい。
彼が亡くなる前の一席を、楽しみに聴きに行ったことがあったんだけど、ステージに現れたとき、容貌があまりに激変していて、何か病気にかかっているのかな?と心配した事を覚えている。

ご存じの通り、父は志ん生であり、兄貴は、馬生である。名門の家系であり、江戸の落語を背負って立つと期待されていたし、その通りの芸風であった。

兄の馬生は、親父がそれこそ名人であったため、確か前座などをとばして、一気に高座にあがっていたが、志ん生が満州へ慰問公演行っている間、周囲からは相当イジメにあったらしい。やっかみ半分、実力もないくせにといった当てこすりもあり、ネタ数はあれもこれもと増やして、随分悩んだようである。

この本は、対談集なのでスラスラと軽く流し読みできる。
一節に、志ん生が「時間にはまるようなのは、噺家じゃなくて落語家なんだ。そんなもの、その時によっては、はまったりはまらなかったりするもんだ」と

しかし、馬生はよく志ん朝にこぼしたらしい。「そりゃね、他人のことだから、みんな志ん生は偉いというんだよ。自分の家のことだったら、そんな親父を偉いなんて思やしない」

寺田農氏との対談の中で、のり平氏の思い出を語っている。
寺田さんとのり平氏は千秋楽の前の晩に飲みに行って、今月のあの芝居、あれでいいのかい?と駄目だしを9カ所出され、分かりましたと、言ったものの、翌日どうしても7カ所しか思い出せない。それを直して
千秋楽の打ち上げで飲んでいたら、「あそこはあれでいいんだ。後は、慣れていけばいい」と直した部分は褒めてくれたものの、「あとのふたつ、どうした」といわれたという。
千秋楽の夜だから、思わず、「え、今日で終わりじゃない」といったら、烈火の如く怒ったという。
「おまえは今日で役者をやめるのかい。そうじゃないでしょ。明日からそれを生かせと言ってるんだ」と
芸事にゴール無しということと、のり平氏の舞台監督としての非凡さが分かった。

2008/1/14

病気にならない生き方 /新谷弘実 /サンマーク出版

どれを読んでも同じだという部分と、参考にすべき点と、どちらかを選択するかは、最終的には自分自身しかいない。

健康でいられるか否かは、生活習慣・食事次第である。・・・これはだいたいどの本にも書かれていることだ。
ここには、胃相・腸相の悪い人に健康な人は居ない。・・・とある。ここは納得する。

お茶を沢山のむ習慣のある人の胃相は悪い。・・・となっているが、違う本ではガンの予防になる、とあった。さて、ガンを取るか、胃相を選択するかの2択である?
どうするか?  分からない!

日本人の胃ガン発生率は、アメリカ人の10倍。というタイトルがある。アメリカ人のように肥満体の日本人の少ないのは、そこに行く前に胃を悪くして食べられなくなるからだ。そして胃が丈夫なのは、消化酵素の量の問題である。・・・という。

次に牛乳ほど消化の悪い食べ物はない、という。乳脂肪分は、撹拌するときに過酸化脂質になってしまい、これは、酸化がとてても進んだ脂、という意味である、となる。その証拠に、市販の牛乳を母乳の代わりに子牛に飲ませると子牛は4.5日で死亡すると、書かれている。さて、本当だろうか?
また、ヨーグルトを常食する人の腸相は決して良い物ではない、と続く。???

食歴と病気の関係をもっと研究するようになると、原因不明の病気はもっと少なくなる筈だ、と書かれている。マクロヴィオティックの食事も食歴から調べて陰・陽のバランスをどう取り戻すのか、ということなので、少しは通じる部分がある。

牛・豚・鶏の体温は、人間よりも高い38.5~40度、鶏の体温は、さらに高い41.5度であり、人間より高い温度の動物の脂は、その温度でもっとも安定した状態にある。故に、それよりも、体温の低い人間の体内に入ったときには、ベタッと固まってしまう、とあるが、一瞬信じてしまった。でも2.3度の違いで本当に脂は固まるのだろうか?これは、それぞれの脂をブレンドした実験でもしたんだろうか?

後の部分は、読んで信じるか否か、自己責任であるが、壮大な自己の躰での実験に変わりはない。躰の判断に任せて、食事の選択ができるのかな?

2008/1/13

ほどほど養生訓 /岡田正彦/日本評論社

相変わらず、健康オタクである。

日本人の3大死亡原因とあり、
1 ガン
2 心臓病
3 脳卒中  となる。

そこで病気予防のポイントは、血管となる。病気は血管から始まる。脳卒中も心臓病も血管が破綻して起こる病気である。

血管のなかの内皮細胞が損傷をうけ、血管の中で、血液が固まり、結果病気になる。
この内皮細胞は、ほかの細胞に比較して非常にデリケートである。     P31

つぎに、ガンの家系はあるのか?
答えはノーとなっている。最近ほとんどのガンは生活習慣によるものらしい。

ほとんどの病気は、体質に加えて、生活習慣上の何かが一緒になって発生する。
自分の体質を熟知することで対抗できる可能性は大である。

同じコレステロール値でも男性の方がより病気に掛かりやすい点があるので注意すべきとある。
人間ドックなどで、ブドウ糖液を飲んで、糖尿病診断を測定する検査は、飲むべき糖分があまりに多すぎて、検査自体が糖尿病を誘発してしまう懸念があったが、どうも不必要らしく、空腹時血糖値だけで十分だ。正確に測定するための、条件は書かれているのでこれを守ってとのことである。

さて、大命題のアルコールは躰に悪いか?
軽いお酒を1日1杯が、長生きの秘訣となっている。
ワインを週に1回以上飲んでいる人の死亡率が一番低いとなっている。

日本人は、野菜と果物が足りない。
色の濃い野菜を食べよう。 野菜は丸ごと食べる。
ドレッシングや砂糖・塩をかけないで食べる。

血液サラサラの誤解とある。人の躰は、きわめて少ない水分で生きていける。水分の取りすぎで体調を崩すこともある。
血液の粘度が高い低いはありけれど、ドロドロ・サラサラという表現には疑問が呈されている。

サプリメントでは病気は予防できない。
ビタミン剤を摂取している人と飲まない人の死亡率に格段の差は無かったという。

2008/1/12

50代からの超健康革命 /松田麻美子 /グスコー出版

腰巻きのうたい文句は老化予防の健康理論となっている。
中高年に送るナチュラル・ハイジーン(健康及び健康維持のための科学。健康を保ち、病気を予防するための原則理論)ということ。

アメリカへ移住した日系人たちを見ると、1世の人たちは、全員がスリムで、心臓病や乳ガン、前立腺ガン、大腸ガン、糖尿病とは無縁なのだが、2世・3世になると、肥満の傾向がでたりしはじめる。彼等の遺伝子が変わったわけではなく、このあいだ変わったのは、食習慣だけです。食習慣の改善は我々の選択次第である。

医学の介入による効果は患者の健康状態を決定するおよそ10%にすぎない。残りの90%医師のコントロールできない要因による。
もっと健康になるために、喫煙や飲酒、エクササイズ、適切な食習慣などのつき、自分自身が正しい選択をすることであり、その実践こそが、医学による治療よりもずっと希望を与えてくれる。
ヘルスケアの基本は、セルフケアである。

スーパーヘルスの7大要素は、
1新鮮な空気
2純粋な水
3人間の躰にふさわしい食事
4毎日躰を動かす習慣=運動
5十分な睡眠
6日光
7ストレスマネージメント
となっている。

読み進めると、死因の第一位は、医者による治療、などというタイトルが出てくる。
また、薬理学の授業で最初に教えられるのは、全ての薬は有毒である。などという一節もある。

後は症状別の対応なども出てきて、最後にどのような食生活を送るべきか、という流れになっている。

スローフードではなく、ローフード(高温度の加熱をしない)の野菜や果物中心の提案が書かれている。

年齢的にも、肉食から野菜などが美味しい年回りなので、実行可能なところから試してみようかな。

2008/1/11

美味しい料理の哲学 /廣瀬純 河出書房新社

タイトルは難しいがどうだろうか?

社会主義者のフーリエの特異性は、たんなる「食べ物」ではなく、「美味しさ」こそが民衆によって集団的に生産されまた消費されるような体制、いわば「ガストロノミー(美食)のコミュニズム」とでも呼べるような社会体制を夢想していたというところにある。
 P9

前節がこのように書かれている。ミシュランに象徴されるような美食が、フーリエの思考より遙か遠く、現実は1日1回の食事さえも危うい発展途上国の人々、そして、おにぎりを食べたいと言って餓死した老人の国に住む我々は、何を考え行動しなければならないのか?

と書いてしまえばテーマは、重すぎる。テレビでどんなに有名料理を口にしても、だだ美味しいとしか表現できないタレント番組を見ても、味わいをどのように伝達するのか、と考えている頭脳構造ではなさそうだ。

いみじくも、食べ物味わい・香り・風情・旨味を表現できたら1人前の作家だといわれたらしいが、文章を読んでイメージか膨らむ作家は、やはり、開高健くらいなのかとも、思う。

美味しいの一言の、この思考停止の穴埋めのように引き合いに出されるのが、実のところ「食」の生物学的機能への還元という古いパラグラムに属した「体にいい」・「体に悪い」といった問題設定なのです。・・・・・    P12

要するに、「美味しい料理」をそれとして思考し、新たな言葉を生み出すために、その糸口となりうるかもしれないいくつかのアイディアを提供すること、本書が試みるのはそうしたことです。    P13

このように本書は展開されていく。大学の受講生のために書かれているので、すこし
哲学的すぎる言い回しがあるので、万人に参考になるかは、疑問だ。

後は書き抜きのようになってしまうが・・

1970年代フランスで起きたヌーヴル・キュジーヌの新しい流れも、素材の短時間輸送を可能にした「流通革命」がもたらしたものだ。・・  と三國清三がいっている。

流通のグローバル化という物理的趨勢がヌーヴェル・キュジーヌにとってその「革命の客観的条件」となった。  P61

やや乱暴に話を単純化すると、過去の古典的なフランス料理においては、予め決まったレシピをどんなときにも忠実に再現することが重視され、ひたすらこの目的達成のため素材調達が行われていたのに対して、ヌーヴェル・キュジーヌにおいては、もはや再現されるレシピなどはなく、その時その時に新鮮かつ質の良い状態で入手可能な素材というものがまず最初にあって、その場その場でそれらの素材に臨機応変に対応したレシピが創出されるようになった。
こうして、ヌーヴェル・キュジーヌは、それまでの常識とされたレシピに素材が従属するという関係を転倒させ、新たに、素材がレシピに従属するという関係を打ち立てたのです。
ところで、この転倒現象は、ほぼ同時期に映画に出現した「ヌーヴェル・ヴァーグ」という潮流にも見られる。予め書かれたシナリオを再現すべく行われてきたスタジオ撮影は、フランソワ・トリュフォーにより徹底的に批判され・・・その場その場でシナリオを創出していくという映画造りになったと。    P63

アラン・シャペルは「料理とは、レシピをはるかに上回るものだ」という名言を残すが、このレシピとの転倒により新たな流れを引き出した。「レシピ」そのものの発生を可能にする「料理」のダイナミクスのことなのです。

20世紀の代表的料理人フレディ・ジラルデは、自らの料理を「自然発生的料理」と呼んでいます。それを三國は、
レシピなど最初から無く、素材からインスピレーションを受けて、ありのまま自然発生的に調理するのがジラルデ流だった。それはまるでジャズの即興演奏をみるようだった。と書いている。  P65

それ故、ヌーヴェル・キュジーヌの料理人の多くが、素材調達と自然全体の能動的な力に貫かれるため、郊外あるいは地方の村にレストランを構え続けている。 と

パスタの調理の基本的技術として
パスタは一般に、目に見えるかたちで線条の入ったもであろうとなかろうと、その表面には見えない細かい傷が無数についていて、これのよって、ソースをより効率的にからめとれる工夫がなされている。しかし、パスタを茹でる際に、お湯の中でパスタを激しく踊らせすぎるとこの傷が摩耗してしまう。したがって、キズを残し茹でるには、あまりお湯を煮立たせすぎず、パスタがお湯の中をゆっくりと漂う様にする必要がある。となっています。ご注意下さい。皆様!     P116

「アルデンテ」という表現がイタリアで使われ始めるのは、20世紀前半、第一次大戦以降であるといわれている。とある。

17世紀の貴族階級は「生パスタ」を食べ、乾燥パスタは庶民の食べ物であったらしい。参考までに・・・

楽しい本かというと、一寸?ね

2008/1/8

健康ブームを問う 飯島裕一 岩波新書

健康オタクとしては、気になった書籍だ。著名人へのインタビュー形式をとっている。

本の中に、日本人の健康に関する情報の入手先として1996年の厚生省調査として、 テレビから73%・新聞43.6%・一般雑誌23.4%・ラジオ11.7%・健康専門誌11.7%とあり、医師からは、 13.8%しかないと、記述されている。
MMなんぞというタレント番組が多いのだろう。

違うページでは、戦後結核が急に減った要因として、当然、抗生物質が開発されたからだとお思いでしょうが、実際は、栄養改善が真相なんだと。薬の効果以上に大きな意味を持っていたと。

飽食では、「まだ食べ足りない」というレベルで箸をおくことが重要であると。

感染症・・・では、 「きれい」と[清潔」について、述べている。
「清潔」とは病原菌がいない状態であると。無菌室にでもいなければ、この状態は保てない。レベルの問題でもあると・・

ラストは、伸ばそう健康寿命である。
健康老人12か条とあり、 「よくある・・・しない」という対策でなく、納得のいくものである。
タバコだけは吸わない、ということになっている。

2007/12/29

走ることについて語るとき僕の語ること 村上春樹 /文藝春秋

作家で気になるというと、当時「群像」で華やかにデビューした村上氏になる。
ほぼ同時にスタートした村上ドラゴン氏は余り気にならない。

世界でも珍しいマラソンランナー作家である村上氏が自分自身について、正面から綴ったと腰巻きにはある。

一時期、店を経営しながら原稿を書いてデビューの運びとなった。10人のお客さんの内1人が店を気に入って、リピーターになってくれれば経営は成り立つとあるが、接客の水商売と違い現実のショップではそうはいかない。

とことん1人に気に入ってもらうためには、経営者は明確な姿勢と哲学のようなもを旗じるしとして掲げ、それを辛抱強く、風雪に耐えて維持していかなければならない。それが店の経営から身をもってまなんだことだった。/とある。

「羊をめぐる冒険」のあと、そのような姿勢で小説を書き続けた。そして、読者の数も作品ごと増えていった。/と..

村上氏は33歳から走り始めた。まだ十分若い。でももう「青年」とはいえない。イエス・キリストが死んだ歳だ。フィッツジェラルドの凋落はそのあたりからすでに始まっている。/と...
さりげなく著名人の名前の挿入は、彼1流の才能である。上手いと思う。

小説家としての資質そして、才能の次に重要なものは、集中力と語っている。次には持続力であるとも。

本の中央には、ランニング姿の写真も挿入されている。

自身を語るといっても、全てをペラペラしゃべるわけで無いのは、当然である。
そうなると、国内でのインタビューは、限られているので、「文學界」7月号に載った外国版インタビューが参考になる。

最初に、村上氏の「風の歌を聴け」・「1973年のピンボール」は外国で出版されていない事実があるとあり、存在すらも知られていないらしい。この状況は意識的な著作の抹殺ではないのだろうか、/と・・

また村上氏自身が出版を故意に止めていることを認めているという。何故なら、省略してしまうが、最初の2作は未熟であるし、作家としての勉強過程であり、真の意味で自分の書き方をはじめられたのが、「羊・・」からだと/書かれている。

それ故、「羊・・」が英語圏で村上氏の原点として流通している。/と・・

また、19か20の頃、ヒップでクールな小説が読みたくて、リチャード・ブローティガンとカート・ヴォネガットが僕のヒーローだったと。/書いてある。

(これまた全然関係ないのだが、私が好きで、全集を買ったのは、ボリス・ヴィアンでした)

まだまだ書き足らないが、また次の機会にしましょう。

2007/12/28

続けて、「文学界」から、
日本で10年間マスコミから受けたインタビューは10本に満たない。
フィクションについて自分が何か話すと、それが「定説」になるから、基本的には受けていない。 /と
しかし、インターネットによる読者との対話は積極的にこなしている。しかし、これは日本語圏に関してだけだ。  /と

また、彼自身はポストモダンの作家でありながら、どうしてそういう作家の作品を翻訳しないんだという質問に対して、
「もしドン・デリーロやジョン・バース、トマス・ピンチョンなんかのポストモダン作家の作品群を訳したら、衝突がおこってしまうでしょうね。僕の狂気と彼等の狂気がぶつかり合って」  /と

(私自身はあまり、ピンチョンともバースとも類似性があるとは思わないのだけれど..)

確かに彼自身が述べているように「ノルウェイの森」が売れたことによって、カルト作家というポジションが無くなったと。
でも村上氏の読者は、余りそれを意識していないだろうし、それ以後の作品はまた、一時期の日本の音楽を演奏している連中の中にあったような、いい曲だが絶対ヒットしないだろうというような、そぶりと思い込み、作品に対する、共通項を感じてしまう。

2007/12/29

ウイスキー通 /土屋守 新潮選書

2000年の「スコッチ三昧」続く著書である。
5大ウイスキーについて、質問に答える形で出来上がっている。
全体の流れとしては、ウイスキーの第1位だったアメリカがインド抜かれて2位となり、ロシア・インド・台湾がでの消費が伸びているとか。

デザイナーカスクは、遠赤外線処理による樽に限られているとか..、勉強になることが多い。
バーボンウイスキーはケンタッキー産でなくても良い。
テネシーウイスキーとバーボンウイスキーの違いとは・・・
テネシーは蒸留直後のスピリッツをチャコールメローイング製法、つまりサトウカエデの炭の層にくぐらせて濾過し、その後、樽詰め・熟成を行うが、ほかの州ではチャコールメローイング製法を行わない。

あの有名な禁酒法は1920/1/17から1933/12/5まで14年間続いたが、お酒の飲用は、禁止しないで、造っても売っても駄目、それから移動は禁止しただけで、個人の飲用は禁止しなかったとか。
そのため、1年間の猶予期間中に金持ちはしっかり買い込んだらしい。

前に見たことがあるが、熟成庫は「オープンリック式」と言われるトタン屋根の木組みでできている。
バーボンウイスキーのエンジェルズシェアは、1年目で10~18%くらい、2年目以降でも4~5%になると言う。計算上20年で中身はゼロになってしまうとか。

歴史も含めてトータルにウイスキーの知識が楽しめる。

ヨーロッパ退屈日記 /伊丹十三  新潮文庫

ちょうどNHKで伊丹氏監督の一連のシリーズ映画を放映している。(2007/12/25)

確かに彼が有名になったのは、監督としてなのだが、私自身はエッセイストとしてのイメージが大である。上記のエッセイに対して、山口瞳は「上質のユーモアと、見識という名の背骨を通した文章は、戦後日本に初めて登場した本格的エッセイだった」と推した。/となっている。

映画監督を父に持ったが、少年時代はなかなか不遇な生活だったようだ。少しシニカルで物事を彼独自の視点から見ていたようだ。

この本を読んだのは大学時代で、非常に印象に残っている。P43の小咄は、笑えるのだけれど、背筋の寒い悲しさもあって、日本人的発想では、考えられない。
食に関しても当時そんなに贅沢な食べ物を味わえる学生ではないので、想像でしか分からないし、ワインなんぞは、お酒の範疇にはなく、日本酒とウイスキーがメインの生活だった。

おつまみとしてアーティチョークが出てくるが、まるまる買ってたべたのは、20年後にアメリカのスーパーで買って食べてみたくらいである。その時は、キッチンつきのモーテルっぽいホテルだったからだが..

そのほかエルメスだのグッチなどといわれても、当時の学生には、幻の商品ばかりだ。確かに某社の旅行鞄などは、従者が持って旅行するためのものであって、当人が持って旅行するのは少し...である。

話は全く関係無いのだが、はちみつぱいというマイナーなグループの曲で「君と旅行鞄」という素晴らしい名曲がある。一時期シングルのみの発売ですり減るくらい聴いた思い出がある。もっとも、女の子には非常に不評であった。聴いてもらうと分かります。

伊丹氏はその後も、「女たちよ」などと言う名著も生み、話の特集に連載されていた聞き書きシリーズは、当時非常に楽しみだった。みかんの剥き方などは、今でもその通り実行している。

健康の天才たち /山崎光夫  新潮新書

第4章 計量カップ・一流料理を家庭に普及させた女医/がある。

一般的に家庭に常備されている計量カップだが、この計量カップ・計量スプーンの統一化と普及につとめたのが香川綾という人物である。

事の発端は、彼女が割烹塾に通い始めたころ、もっとも不満だったのは、教え方が大雑把だったこと。調味料の分量は、「適当に加えて味わって美味しい味付け」が目安で、煮時間は、「ほどほどに時間をかけて柔らかくなったら火を消す」で、火加減は、「煮詰めない程度の良い加減」が目標だったとか。

勘と経験が頼りで、帰宅後整理しようとしても不可能である。
不満をきいてもらうため、後に夫となる人物の実験室へ行き、実験を眺めていると、飼育器のラットへ金属の器に餌をすくい上げ、平たい板で山盛りの部分をすり切って、ラットに与えた。
「何をしているのか、それは何か」ときくと、1回分の餌やり器だという。メスやコッヘルを作っている機械屋に頼んだ特注品で、この日から使い始めているという。

すり切り棒ですり切って、ちょうど3gだった。「その器なら、料理1人分の量がはかれる」と。

塩分濃度が料理の最大の基本である。人間の体液中の塩分濃度は、生命維持のための浸透圧の関係から万人がほぼ共通で、0.9%であり、この濃度に見合う料理が美味しさを感じさせるという。

その後、彼女は有名料理人にの元に入門し、ほぼ計量カップを使えば80%再現可能であると確信した。/という。

この中に別章で、西式健康法があり、色々かかれているが、
飲酒家は酒を飲んだら、3倍量の生水を飲み酒の害を消すようにという一節がある。
参考までに...

流通王(ダイエー中内とは何者だったのか) /大塚英樹  講談社

流通の創始者で誰が気になるかと言うと、やはり、ダイエーの中内氏である。

1957年9月23日大阪の千日前に広さ28坪の「主婦の店ダイエー薬局」をオープンさせた。ここから売上げ高日本一のダイエーがスタートする。

著書の中で、イトーヨーカ堂の創業者・伊藤雅俊氏に会ったとき、彼は顧客のことを「お客様」と言い、「お客様のために」が、彼の口癖だった。
一方、中内氏は顧客を「消費者」「一般大衆」と呼んだ。時には「客」とも言っていた。私はここに「商人」と「商売人」違いがあるあるように思う。/とあり、

商人とは、社会変革という大きな志を抱いて事業を興す人である。まったく何もないところから、世の中を変えてしまうような新しい事業を創造する人である。/ともかかれている。

言い換えれば、「商人」とは事業家である。
方や、商売人とは、個々の会社の利益を追求する人である。商売人にも志はあるが、それは「儲けたい」ということであり、社会変革などという壮大な志とは相容れないものである。
文字どうり「商売する人」なのである。/とある。

この違いが将来を暗示する。会社の存続は第一命題である。革命は成就するのか、それとも、失敗に終わるのか?
兄弟間の色々な問題も噴出する。

住友銀行の頭取に、取引開始時に、
「何か担保はあるのか」と訊ねられ、
中内氏は「担保があって貸すのは、質屋です。銀行は、人と事業を見て貸すべきでしょう」と言ったとか。
「当時、頭取と一分話すと1億円といわれた。一時間がだから、ちょうど60億円や。社会的に認知されていなかったスーパーの将来性を見込んで大金を貸してくれた。一生の恩人やな」/とある。

その著書の一節に、
「儲かると儲けるでは意味が違う。僕は儲ける商売をやるつもりはなく、無理しなくて、自然に儲かる企業を目指している。僕は、商売人ではなく、商人なのだ」
中内氏は、「商売人」と呼ばれるのを嫌っていた。

知られていないのは、中内氏はジャズ好きで、かつてN・Yやシカゴへいけば必ず、ライブハウスへ足を向け、自宅の書斎にもコルトレーンやマックスローチ・ロリンズ・オスカーピータソン・ベニーグッドマンなどのCDが揃っていたとか。
70歳を過ぎた頃、ホイットニーヒューストン・ダイアナロス・マライアキャリー・マドンナなどもダイエーの各店巡りの途中で自分で購入していた。/という。

中内氏はまた、「俺は事業家であって、社長ではない」と言う言い方もした。/とある。

一部で言われるように、ダイエーは中内商店であり、会社として機能していなかったのでは、と言う説もある。伊藤雅俊氏は 総会問題で引退したが、テクノクラートの鈴木氏に会社を託すことで、存続をはかったけれど、ダイエーは奇跡のV字回復後、結局は他人を信じられずに、次々と部下の追い出しにかかった。会社はマイカンパニーであったのではないか。

著書の中には中内氏がいかに熱血漢であり、浪花節的な人物であったのか、の記述も多い。しかし、戦闘で生き残り最後に信じられるのは、自分しか居ないとの思いは終生頭から離れなかったのか?とも思う。

確か企業コンサルタントのことを、
「業績が上手くいっているときは俺の言うことをきているからだ、と言い、
業績が悪くなると、俺の言うことを聴かないからだ、という。どっちのときでも、コンサルの言っていることに違いはない」
そうだ、色々言うならおまえが会社を運営してみろ。...と私も言いたい!

著書の最後のところに、
中内は、自分は商人でありたい、と考えていた。しかも、流通革命を起こし、消費者主権を奪還することをミッションとした商人であるはずだと思っていた。そのためか、中内は、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊やジャスコの岡田卓也と一緒にされることを嫌った。
彼は伊藤や岡田をライバルとみてはいなかった。
いつか、私が2人について感想を聞くと、中内は、
「伊藤さんは,商売人やな。まじめな人だけど面白味に欠けるね。岡田さんは、この人は、もう政治屋でね、駆け引きばかりしよる。政治家になった方がいいと思っていたら、2男が政治家になっている」
中内が気に入っていたのは、セゾングループの代表だった堤清二だった。

あまりに書き抜きが多く、なんだかよく分からない文章になってしまった。
でも、中内さんは希有な人物であることは間違いない。PBを最初に造ったのもダイエーである。

全く関係ないが、堤氏が出てきたので、思い出した。昔国土の堤氏がまだ権勢を誇っていた頃、軽井沢から新幹線に乗り込んできて、ちょうど後ろの席に座った。
横には男性の秘書らしき人物がいる。彼は東京駅に着くまで、確か椅子にもたれることはなく、スポーツ新聞を読む堤氏の横で 直立不動の姿勢をとり続けた。
今は無きカリスマがここにもいた。

食べるな危険 /郡司和夫  三笠書房

そろそろ、年でもあるのでいろいろ気遣いしないと体に負担の掛かるものである。

食べてはいけない食材が96項目のっている。気にし始めたらきりがないもの...

刺身のツマは殺菌漂白剤に浸されているから、怪しいらしい。

もやし・かいわれが、いつも青々しているのは緑化促進剤が...

CVのサンドイッッチの「合成保存料・着色料不使用」の表示の抜け道は...

豆腐の賞味期限は、製造日から4~7日となっているが、超高温殺菌(120~140℃で2秒から4秒殺菌)処理の上、ポリプロピレン包装の真空パックのため、10℃以下の温度なら1ヵ月は保存可能という。
私も以前賞味期限を4週間ほど過ぎた豆腐を湯豆腐で食べたことがあったが、腹痛はしなかった。・・・事実です!

ポテトチップスの「うす塩味」は、塩分が低い「薄塩」という意味ではなく、商品名
なのである。....

健康油のK社の体に油が付きにくい、と言う表示は....であり、カロリーはどんな油でも100グラム=1キロカロリーである。....

ワイン関しても1章設けられている。書くのは、.....である。

刺身は好きな食べ物であるが、1種類のみなら生鮮食品で、2種類以上の盛り合わせは、「加工食品」になるという。
加工食品には、添加物を使っていいことになっているという。
以前盛り合わせを食べたとき、表面が乾燥しないように、調味料が塗られた味を感じたことがあったが、これが解答であった。

後は読んで、納得するか否かと言うしかない。偽装も含めて自己防衛しながら生きて行かなくてはいけない世の中である。

僕の歌、みんなの歌 /森達也  講談社

フォークカリスマ考という
一章があるが、著者は1956年生まれであるので、対比は岡林と吉田拓郎となっている。同時代で岡林は聴いていないし、中津川も資料でしか知らないので、分からない。
当時のヒーローは友部正人だったので、気分的に好きなのは岡林かもしれない。
一寸違うけれど、豊田勇造などのLPも持っているので、何となく分かってもらえるかな。

沢山の懐かしい曲があるんだが、
ラストが「ちあきなおみ」の「喝采」となっている。彼女が著者の近くのアパートに引っ越してきたらしい。
22歳でデビューして「雨に濡れた慕情」
が最初の曲。4曲目が「4つのお願い」となるらしい。

1947年生まれで5歳から日劇のステージに立って、米軍キャンプまわりも体験しているという。

1969年、下積みをへてデビュー。この時のキャッチフレーズは、魅惑のハスキー・ボインであり、キャッチコピーは「苗字が無くて名前が2つ」...本当に誰が考えるんだ!

彼女は、頻繁に散歩していたらしい。天気のいい早朝には、いつも日傘をくるくる回しながらの散歩。
着物姿もあれば、ドレス姿もあって..
しかし、派手なステージ衣装だったという。

ラストに何故か、彼女が歌った友川かずきが作詞作曲した「夜へ急ぐ人」の話が出てくる。当然そうなると、1977年の紅白歌合戦での伝説の熱唱シーンの話になる。
ちあきの方から、友川へオファーがあったという。

夜へ急ぐ人が居りゃ
その肩 止める人もいる
黙って通り過ぎる人が居りゃ
笑って見てる人も居る
かんかん照りの昼は怖い
正体あらわす夜も怖い
燃える恋ほど 脆い恋
あたしの心の深い闇の中から
おいで おいで
おいでをする人 あんた誰

作詞作曲 友川かずき

この「おいで おいで」の箇所でテレビを見た人は分かるけれど、完全に唄に没入している。さらに曲のエンディング、...
これは、凄いの一言である。

小学生の時にこの紅白を目撃した、ナンシー関は、「ちあきなおみがくるったと思った」そうである。

作者の友川かずきは、叙情的な唄と今ではないようなパンク的(?)な曲が混在している歌手である。

彼も「夜へ急ぐ人」を歌っているが、曲目の後に(ちあきなおみに捧ぐ)となっている。

ナツメロ番組には絶対でないだろうなと思いながらも....

飲めば天国   講談社

対談集である。その中に、
今宵ムートンを語りムートンに酔う...

吉行淳之介と堂本尚郎(79年初めて日本人画家としてラベルを描いた)と山本博の各氏である。

67年から76年の10本のムートンを飲み干そうという、垂涎の対談集だ。

堂本氏は最初80年を依頼されたらしいが、日本の干支は79年がヒツジ年、ムートン(羊)でいいじゃないか、とこじつけたらしい。彼は当時、貧乏だったから、ムートンというワインの存在を知らないで、
酒屋のレッテルなんかどうかな、と最初断ったらしい。ムートンの依頼を断ったということで、パリでは一時話題にもなったという。

酔っぱらってベロベロになっているか、朝、寝起きに突然電話がかかってきて、描けといわれたので、とんでもない、酒屋のラベルなんか描けるか、とタンカを切ったとか?
ピカソなどがラベルを描いていることを、知らなかった。
もっとも、契約書には、あなたが作品を提出してくれても、自分ほうが気に入らない、もしくは何らかの理由があった場合には原画を返すということで、話はパアだという。
最終的には、半年後ムートンの部長がきて誓約書にサインしたという。

版権の問題は全てフィリップと娘のフィリピーヌの権利であって、一切口を出してはいけない。どんな著名の画家に描かせても,一銭も払わない。
その代わりワインを120本あげるという。
堂本氏の描いた年が60本、ほかに60本。彼は何年のどれが欲しいか全部指定したと言う。

また、吉行氏がムートンへ行ったとき、酒倉のおっさんが地下のカーブへ連れて行ってくれて、ストックを見せてくれた。
格子のある鍵が掛かっている奥に100年前の瓶がある。
あの辺の酒は旨いか、と聞いたら、「グレタ・ガルボは何人もいない」と答えた。

酒を飲みながら読んでいると、もう一杯と
グラスが進んでしまう。

江戸城のトイレ、将軍のおまる    講談社

長年の疑問が氷解すれば、なんだとそんなことだったのかという典型的な解決法である。
1度、束帯衣冠(衣冠束帯という言い方は正確でない)すると、着衣の乱れは御法度らしい。
装束(長袴)、長上下の場合は大礼行事らしく重い儀礼であり、長時間であり、袴脱着は不可能とのこと。

そこで登場するのは「尿筒」(しとづつ)

と言う道具であり、別名は「装束筒」・「便竹」(べんちく)・「小用筒」..と呼ばれる。
竹の節を抜いたものである。
家禄の高い侍は、銅製の筒であったという。これを布製の袋に入れ持ち運んだと言う。
急に用を足す際には、目立たぬの廊下の手すりにまたがせるので、50センチメートルくらいの長さはあったという。
合図で袴横から尿筒を入れて操作したという。
こんな場面は、テレビでは絶対に出てこない。しかし、さりげなく見たいものだ。

大奥の御台様のトイレは、一生使い切りの万年掘りで、掃除は不要であったとか。
これも、蘊蓄になるかな。

江戸城のトイレを使い、脇差しだけ帯して入り、立つとき帯がずりあがり、つい脇差しを落としてしまう人も多かったとか。
確かに家伝の銘刀だったら....泣けるぜ、といったのかな?

まだまだ疑問が氷解したこと沢山あったけど、後半は少し間延びしてしまった。